蝶だと思います ヒラヒラするものを発見
ジャンプして後を追うがどうやら失敗
うん?またもや発見!魚に飽きがきたのか 昆虫を探しているらしい
多摩川での観察ポイントは A,B の二箇所に決まっています
Cは絶好の場所だったが、先日の台風で荒れ地と化して立ち入り禁止となってしまった
Aにはダイサギが多くオナガと出会うこともあります
水鳥が登場する確率は少ない つまり待ち時間が長いということです
しかし、至近距離で見ることができる利点があります
一方、Bはほぼ毎日アオサギが群れていて必ず何かしらの”パフォーマンス”が見られる
上の3枚もそうです
さて皆さんは傾聴ということばをご存じですよね
そうです、相手の話を良く聞くということです
ブログ仲間のK子さんの記事で傾聴ボランティアについて読んだことがあります
一人暮らしの老人がただただ話を聞いてくれる人を待っている
だから、それを聞かせて貰う(聞いてあげるではない)ボランティアのことです
多摩川ばかりではなく、どこへ撮影に出かけても多くの人が私に話しかけてきます
老若関係なく私は相手の話を最後まで聞くようにしています
さて、Aポイントへ行くと必ず私の左側に立って話しかけてくる老人がおります
77歳の女性です 話の内容はいつも同じで寸分の狂いもありません
「ここは良いですね、見晴らしが良くて空気が良いし」で始まります
「7人姉妹の末っ子で、結婚当初は実家の二階に間借りをしていました
札幌の大通りの近くに住んでいました」
※プライバシー保護のために肝心なところは事実と異なることを書いています
「夫は転勤族だったので、日本中ほぼ全部を回りました
その夫も、一昨年82歳でなくなりました
毎日、この時間にヘルパーさんが来て、掃除洗濯をしてくれます
それはとても嬉しいのですが、私のことを<愛子さん>と下の名前で呼びます
そのように教育をされているのでしょうが、なんともコソバユクテ耐えられません
だから、こうして家を出てくるのです」
話はまだ続きます 「明治の女性は立派でしたね
7人姉妹が嫁ぐのに、どの子にもタンス2棹(さお)持たせてくれました
しかも、中身は全部母が夜なべをして縫ってくれたものです
それに比べて私などは、子供に何一つすることができずに・・・」
と、ここまで来ると涙を流すのです
しばらくして気持ちが落ち着くと「大事なお仕事中にお邪魔をしてしまって済みませんでした」
で終わります
この同じ話を私は10回は聞きました
悪いなぁと思いながらもここ数日間、観察ポイントBを選んでいる
明日は久しぶりに、傾聴に出向くこととしよう
アオサギもちょっとは余裕が出てきたのでしょうか。
台風で荒らされた当初の多摩川でのアオサギはがりがりでしたもんね。
poloさんは鳥の写真を撮るだけじゃなく、傾聴ボランティアもされているご様子。
若い人に馴れ馴れしく名前を呼ばれるのに違和感を感じるそのご婦人には今まで一生懸命に生き抜いてきたというプライドがあるのでしょうね。
そのご婦人にとってpoloさんとはいつも新鮮な出会いなんですね。
poloさんもいつも初めての出会いのように話を聞いてあげるその行為に拍手です。
アオサギが昆虫も食べるのですか?
魚ばかりだと思っていた私には驚きました。
傾聴ボランティヤ、poloさんのやさしさが伝わってきます。この文章を読ませていただき、私が中学のときに83歳で亡くなった祖母を先ず思い出しました。母親の顔も知らずに育った私は凄いおばあちゃん子でした。おばあちゃんも私を凄く可愛がってくれて、学校から帰るのを何時も待っていて、その日の出来事等をズーと話してくれました。
今考えてもボランティヤなんて思ってもいませんが、思いを聞かせていただく事によってそのご婦人は随分心やすまるのでしょうね。
傾聴ボランティアではなくて、ただ話を一通り聞いてあげる、それだけのことです。目はファインダーから離れてはいませんから、”仕事”の邪魔にはなりません。最初は不思議に思いました。<愛子さん>と呼ばれてコソバユイとは何だろうとね。よくよく聞くうちに、仰るとおりプラドがあるからだと分かりました。自分では認知症であることを認めていませんからね。
いつも私に、初対面のご挨拶をします。拍手を有難う。
オバアチャンが育ててくれたのですか。それはそれは、とても有り難いことです。感謝しきれませんね。
そう、貴女が聞き役だったのですね。年を取ると話し相手が欲しくなるものだと聞いています。孫の帰りが楽しみだったのでしょう。
嫁入り支度について話し終わると必ず涙を浮かべます。気持ちが晴れるのでしょうね。その後はご説明したように立ち去って行きます。
poloさんは自然体で自分の趣味を楽しみながら、傾聴ということまでやってらっしゃるんですね~
なるほどなるほど。。。
顔なじみになると向こうの方も声をかけやすくて、そしてお話を聞いてあげるとその方も嬉しいのでしょうね。
私は施設での傾聴&お手伝いのボランティアですが、poloさんは出会う方々とのコミュニケーションを大切にしていらっしゃる。
アオサギさんもきっと見てるんですね。
poloさんには心を許してるようによく飛んできますね。
きっと心と心は通じ合ってるんでしょうね。
そんなのがあることは知りませんでした。
それにしてもpoloさんの傾聴ヴォランテァ振りを読みながら何故か涙が。。
愛子さんと呼ばれることに抵抗を感じて居るらしいその人、77歳の私の知友人達を思い浮かべてみましたが、何百キロを自分でドライヴして子供達の家族を訪問して帰るや、バスツアーでニューヨークを楽しみ中の人も居ますが、この差は何なのだ?と。
この人は家事はもちろん自分でするし、まだ縫い物、編み物やっています。御夫君は健在なのがその差の原因なのでしょうか。
私は未だ自分の身の上話を見知らぬ人にしゃべりたい気分にはなれませんが、そんな日が来たら「黄昏」ですね。
80代の母、90代の夫の母も息災です。
ただ黙って相手の話を聞くだけ。
こういう事でこのお年寄りは気を晴らすのでしょうね。
物忘れが激しくpoloさんと何度も会っている事すら忘れて何度も初対面の挨拶から同じ話をされる。
何度も始めて聞いたように頷いておあげになるpoloさん。
私もいつかこのお年寄りのように同じ繰り言を繰り返すような日が来るんでしょうね。
人生の黄昏時、相手をする人がpoloさんの様に接して下されば嬉しいでしょうね。
昔の記憶は正確なのですね。いつ話を聞いても全く変化がありません。年代まで正確です。おそらく家族的に淋しい人なのでしょう。77歳でヘルパーが入るなんて、ちょっと。いつ会っても、初対面だと思っているようです。きっちりとご挨拶しますよ。母が最後は認知症だったですから、その人の胸の内がよく分かります。いえいえ、それはどうかな、人によっては90を過ぎても頭だけはしっかりしている人がおりますから。貴女の場合は沢山の係累がおられるから、淋しい老後はありません。