札幌の友達が小樽へ行ったついでに買って送ってくれたものです。そばの丸い小さなものはなんと豆腐だという。今夜はカニ鍋かな。私は和歌山は田辺の生まれだから、カニの水揚げはあったろう。だけれど、どういう訳かカニとは縁がなかった。新鮮な魚は豊富で今でも帰省するとサバ寿司やサンマ寿司をほおばる。しかし骨のある魚の丸焼きや煮物は苦手中の苦手だ。子供の頃に何度小骨を喉に刺して痛い目をしたことか。だから、母は必ず小骨を毛抜きで全部抜いてから調理をしていた。そういうわけで、母が出してくれる魚は安心して食べたけれど、そうでないものは箸をも付けない。母はもういないから私は魚が大の苦手なのだ。もちろん妻が出す魚も安心はできない。
それの延長で、カニも食べない。殻を割らなければならないし、中に骨らしき物がある。手は臭くなるし努力に見合った成果が少ない。だから、先日札幌でこの友人とカニの食べ放題の店に入ったけれど、カニは一口も食べなかった。妻はむさぼるようにカニを食べた。それを横目にして私はにぎりを食べた。にぎりを食べている分には骨の心配がない。ステーキを食べる時にも一口サイズに切って出すように注文をする。お皿の上でごしごしナイフで切るのが面倒だからなのだ。ウエイターは一瞬私の顔を見るけれど、私はすかさず「シェフに頼みなさい。きっと切ってくれるよ」と説得する。
それの延長で、カニも食べない。殻を割らなければならないし、中に骨らしき物がある。手は臭くなるし努力に見合った成果が少ない。だから、先日札幌でこの友人とカニの食べ放題の店に入ったけれど、カニは一口も食べなかった。妻はむさぼるようにカニを食べた。それを横目にして私はにぎりを食べた。にぎりを食べている分には骨の心配がない。ステーキを食べる時にも一口サイズに切って出すように注文をする。お皿の上でごしごしナイフで切るのが面倒だからなのだ。ウエイターは一瞬私の顔を見るけれど、私はすかさず「シェフに頼みなさい。きっと切ってくれるよ」と説得する。
私の周りにも魚を苦手とする人がかなりおります。しかし私は子どもの頃に漁師の手伝いをしたこともあり、生粋の浜っ子ですから、肉より魚が大好きです。骨を抜くのも得意中の大得意です。老妻には「あんたの口には骨の選別器が付いてる」と言われるほどです。孫など魚の骨抜きは私の仕事です。
またカニは、自分の手で苦労して取り出して食べてこそ美味いと・・・嘯くような野人なんですよ。
そんな野人の私ですが、どうぞ宜しく!
子供たちはものも言わずにせっせと骨取り。
給食係りの先生から、真ん中の骨だけ残して残飯なしは、1年生だけだって言われました。参観日にこれが話題になって、「お魚のリクエスト」が家である様になったとか・・・
ところが、我が子にはそれを教えなかったばかりに未だに身をいっぱいつけた勿体ない食べ方をしている我が息子。
躾の失敗談です。教えるのにいい時期ってある。今更どうにもなりません。
年寄りには お魚が一番!ということで
母にお魚を食べてもらう時は 老眼鏡かけて
大骨 小骨をとっています
お魚大好きな母も この頃は骨があるからと
敬遠しがち 秋の秋刀魚も 三枚おろしで ムニエル
ふうにしています いつの間にか立場が逆転のこの頃です