福島市内にある「あぶくま親水公園」では、ご覧のように流れが二筋になっていて
ちょうど中程に中州がある
この環境が水鳥達に居心地のよい場所を提供しているのだろう
この日、白鳥は940羽で、カモは数千羽、あるいは万を数えるかも知れない
飛んでいるのはオナガガモです ユリカモメは見られなかった
「1993年春、阿武隈川をにぎわしていた白鳥たちがシベリアに
帰り始めました。たくさんいた白鳥も群をなして飛びはじめ、だんだん
すくなくなっていきました。十羽になり、五羽になり、いつの間にか
二羽だけが残り、静かになった阿武隈川を仲良くよりそうように泳いでいました。
二羽のうち一羽は成長した白鳥で、もう一羽はまだ羽の色が灰色の幼鳥でした」
との書き出しで、彼女の文集「チィーとの思い出」が始まります。
私達がタクシーから降りるとすぐに話しかけてきて、ほぼ一方的に白鳥の話をする
奇妙なオバサンとの印象を受けたのでした
タクシーの運転手もそうだったし、ホテルのフロントもそうだった
東京者には違和感を抱かせるほど馴れ馴れしくて話好きなのだ
ところが、彼女の話を聞く内に、彼女の夫は近くで歯科医院を営み
事務員や看護士にすべてを任せて自分は毎朝白鳥に会いに来るのだという
早くカメラを取りだして撮影に移りたい私に、彼女は
「ちょっと待って居てね、私の文集やら賞を貰った写真などを差し上げたいから
家まで行って来るわね」と、言い残して立派な四駆を運転して立ち去った
出自がまともなことを知って胸をなで下ろしたのだった
やがて戻ってきて、袋一杯のズシリと重いホチキス止めの自作の著作物や写真を手渡された
上の写真をご覧下さい、これほど人の近くに白鳥がよってくるのは稀有なことです
彼女は羽の傷ついたオオハクチョウだけを選んで世話をしているのだという
元気になって貰いたいから、名前を「ゲン」とか「キー」とつけているのだと言った
大きな声で「ゲン!ゲン!おいで」と声を張り上げるとゲンが近寄ってくる
キーと呼べば、キーが近づく、まるで魔法使いのように操るのだ
彼女によれば、トリたちは彼女の姿と声を認識するのだと言った
(彼女を以下では、タカさんと呼びます)
タカさんの文集によれば、その残された2羽は母と子で、母は翼に怪我をしていた
ある朝早く、幼鳥の方が飛び立ち、母に飛ぶよう促すために何度も何度も低空飛行をする
翌朝も、また翌翌朝も同じように子が母に飛ぶよう催促をする
がしかし、母は飛べない
一週間後の朝、母鳥だけが取り残されていたのだ
幼鳥を責めることはできない 北帰行は本能なのだ
この日からタカさんの苦闘が始まった
タカさんはチーと名付けたこの白鳥に、餌をもって毎朝早く川に出かけるようになった
太陽が徐々に高度を上げて気温は上昇する
タカさんは河原にテントを張ってチーと一緒に暮らしたいとさえ思うほど追い詰められる
やがて、八月の灼熱地獄が訪れる
チーは食欲がなくなり動きがだんだんと緩慢になってゆく
タカさんの必死の看病の甲斐なくついに息絶えたそうだ
野鳥の会による給餌
上の2枚目の写真でお分かりのように、タカさんは白鳥とお話しをしています。”白鳥の母”と呼んでも良いでしょう。献身的な白鳥の世話は三月の末まで続きます。全部が飛び立つまで、彼女は気が気ででないことでしょう。
オナガガモの多さにはビックリでした。キンクロハジロもいました。でも、人間には近づいてきませんでした。
幸せだったと言えるかも知れません。
怪我をした白鳥の世話をする・・・単に好きというだけでは出来ません。頭が下がります。
それにしても凄い数。「ハクチョウの居る所にオナガガモあり」ですがこちらの多さもビックリ。
キンクロハジロも見えますね。
白鳥と一心同体、白鳥も一生懸命タカさんに話しかけているようです。
poloさんが福島で出会った心暖かき人々。
たくさんの白鳥達。
人と野鳥の交流。限界まで近づく、けれど一線は越えない付き合い方。
難しいけどそれが大事。
それを守っているタカさんや、野鳥の会のメンバーさん。
白鳥の里親制度。いいですね。お世話はお任せして基金に参加する形でしょうか。
この方達にお任せしていれば毎年冬のこの時期、野鳥達は飢えることなく北に帰る支度が出来る事でしょう。
タカさんの話に 感動しました
自然界のことですから 厳しい自然のおきてがあるのでしょうが 心うたれる話です
ただしタンチョウが里の給餌場に下りてくるのは、厳寒期が主ですからその対策が大変です。でも見る価値は比べようもありません。
折をみて是非お出でください。
北海道のタンチョウを救った渡辺トメさんの話はあまりにも有名です。前々から尊敬する人です。是非一度お目にかかりたいと思っています。ついぞ実現していませんが、心から大きな声援を送っています。
鶴居村は、貴方が住む釧路に近いと聞いていますが、車でどれくらいの距離なのでしょう。タンチョウヅルを見るのが私の夢です。
自然を愛するこうした人たちには、ただただ頭が下がる思いです。
実はこちらにもそのような実話があります。ご承知のように、タンチョウが絶滅に瀕していた頃に、家業を投げ打って給餌に続けてきたのが、鶴居村鶴見台の「渡部トメ」さんです。
ご夫婦でタンチョウの世話は今なお続けているのですが、「タンチョウになったオバアチャン」と親しまれております。とても優しくて気さくなお婆ちゃんで、親切に色々なことを教えてくれます。
パンはよくありません。仰るとおりバター(油脂分)と塩分が含まれているから、あの小さな体には負担となることでしょう。一般観光客は平気でバンをばらまいていますね。慎むべきです。
野鳥の会では、雑穀と屑米を混ぜて与えているそうです。これなら、健康に害はありません。
そうですね、千枚を越すほどの写真を撮りましたが、白鳥に話しかけるタカさんの写真一枚で、私は充分満足です。タカさんが書いたものを徐々に読んでおります。必ずもう一度お会いすることになると思います。
飛べない母鳥を残して北に向けて飛ばねばならなかった幼鳥の気持ちを思うとせつなくなります。おそらく、翌年は母鳥を探したに違いありません。
年を重ねるに連れて、色々な人が私に話しかけてきます。ひょっとして、私の角が取れてきたのかもしれません。今日も伝えたい話を聞き込んできました。
私の文章を誉めて下さって、とても嬉しいです。
玄米をいちばん好むようだと書いてくださっていて,なるほどと思いました。
やっぱり玄米は人間だけでなく、白鳥の体にとっても栄養豊かで
いいのかもしれませんね。
よくパンが撒かれていますが、人間用に作られたパンでしょうか?
だとすると食塩やバターなどが入っていることになりますから、
大丈夫なのかなと、ちょっと気になっています。
羽を傷めてシベリアへ帰れず、日本で死んでいったチーとの
思い出があるから、今でもタカさんは羽を傷めた白鳥を選んで
世話をしているのですね。
タカさんの白鳥に寄せる想いが白鳥たちにも伝わり、心が通い合って
いるのが分かります。しゃがんで白鳥たちに声をかける
タカさんの写真、とても素適です。
朝から涙で溢れしまいました。白鳥にこれほどの愛情を注げる方って凄いですね。一羽一羽が見分けるられるなんて驚きです。
子供の白鳥が弱ってしまった母親を見限って帰らざるをえなかった状態を想像しても悲しすぎます。翌年
は早めにお母さんに会いに来たことでしょうね。
タカさんもpoloさんを見て直ぐに「この人は鳥に対しての愛情が」と直ぐに直感して近づいてこられたと
思いますよ。
poloさんの文章表現、実に上手く現れていると思いました。感動的な話有難うございました。
そうです、タカさんの献身的な世話を受けてチーは感謝しているに違いありません。彼女が書いたものは膨大で、現在少しずつ読み進んでいる状態です。
今回は色々と美しい場面を撮影しましたが、タカさんとチーのお話しを凌駕できるようなものはありません。
チーの最後を看取ってあげて、お墓まで作っているのだから、その愛情の深さは言葉では言い表せません。
白鳥にとって、この時期の気温がちょうど良いのだから、八月の熱さはとうてい耐えられません。可哀想なことをしました。
でも、その子供、孫などが次々と生まれて命はつながっているものと信じます。
そちらの飛来地には二種の白鳥が飛来していますか。福島では、ちょっと過密状態だと言えるでしょう。
何処へ行っても、オナガガモとキンクロハジロが増えていると思います。いや、増えすぎですよ。
鳥に囲まれた写真を見てビックリ、こんな素敵な事が出来るのですね。愛情一杯のタカさんだからこそね。
素晴らしい映像感謝します。
一生懸命チーを看病しても帰らぬは口調となってしまって本当に気の毒でしたね。
あの夏の灼熱地獄はチーにとっては本当の地獄だったに違いありません。
チーの子供はその後またこの福島に戻ってきているでしょうね。
でもーこんなに沢山いるとチーの子供がどの白鳥か分かりませんが、孫やひ孫までいるはずですね。
家の近くの白鳥飛来地でも今年は何羽いたのか知りませんが、1000羽近くいた事があると思います。
この福島県にはカモが凄い数ですね。
ちょっと過密状態のようですね。
そう、物凄い数のトリです。確認しただけで、オナガガモ、ホシハジロ、マガモ、ヒドリガモ、キンクロハジロとそれに二種の白鳥でした。カモたちは白鳥のそばにいれば、餌にはありつけることを知っているのでしょう。必ず居ますよ。今回の旅行は大成功でした。思わぬ人との出会いがあり、その人の著作を沢山貰ったし住所氏名まで頂いております。大きな収穫です。
今日のこのブログで福島の白鳥に付いては終わりにします。その締めくくりにふさわしい人との出会いでした。今回は、千枚以上の写真を撮りました。それらの中で最高の一枚は、このトリたちに語りかけるタカさんだと思います。
信州で白鳥が飛来する湖としては、諏訪湖しか知りません。諏訪湖は毎年出かけます。仰るとおりコハクチョウしか飛来しません。間もなく北帰行です。それまでに、もう一度彼らの姿を眺めたいと思っています。
タカさんの話によれば、白鳥のクチバシの模様を見れば、一羽ずつ違っていてまるで指紋のようだと言っていました。ですから、今年、傷ついているゲンとキーは見分けられるのだとも話していました。彼女は白鳥と話ができる人だろうと思いました。
私もあの昆陽池の子供はほぼ間違いなくコハクチョウだと思います。
その通りです。北帰行は本能的な行動ですから、たとえ今昆陽池に迷い込んでいるのだとしても、その時期が来たら、北に向かって飛び立つに違いありません。
チーちゃんの子供がそのことを立証しています。群である必要はありません。少しずつ少しずつ北へ北へと移動することでしょう。
ここの人たちは、白鳥を大切に扱っています。毎回大量の餌を撒いていますから、費用がかさみ、それを補うために白鳥の里親を募集していました。私は早速参加してきました。
でもこのタカさんがいたお陰で少しは生き延びる事が出来たんですね。
それにしても沢山な鳥たちですね。
目指す鳥達にも会えて、また素敵な人との出会いもあって、
今回の撮影旅行は大成功でしたね。
ただ動物愛護の行き過ぎで問題を起こす御仁もいますが・・・。
このおばさんに我も我もと話かけたそうな白鳥の大人も子供もクチバシをあけて姦しそうですが、なんと穏やかなほのぼのとした画像でしょう。感動の一枚ですね。
はるばるとお出かけになった甲斐があったようですね。沢山の素晴らしい画像をゲットしてこられたと思います。ここで見せていただいてオオハクチョウ・コハクチョウの勉強も致しました。信州にも白鳥湖があるそうですが、poloさんのブログで得た情報では信州にはコハクチョウでオオハクチョウはいないのでしょうね。
そしてフレンドリーな福島がいっぺんに好きになりました。
灼熱の真夏に北へではなく天国へ旅立ったチーちゃん。
このチーちゃんと一緒に河原で暮らしたいとまで思ったタカさんの心は張り裂けそうだったに違いない。もうここで泣けて泣けてたまりませんでした。
翌年チーちゃんの子供は、自分たちの子供を連れて母が眠るこの川へ帰ってきたのでしょうか。帰ってきたと思いたいです。
タカさんがしゃがんで白鳥たちとお話している姿、いいですね。
白鳥たちがタカさんにも語りかけているようです。心を許している。
下から二番目のコハクチョウの幼鳥たちを載せてくださってありがとうございます。
もう間違いなく昆陽池の迷子鳥はコハクチョウだと確信しました。
poloさんが、ケガさえしていなければ大丈夫。時期がくれば北帰行すると確信をもって言ってくださったのは、このチーちゃんの幼鳥が一羽で旅立ったからなのですね。
安心しました。あの迷子鳥が心配で心配でたまらなかったので。
渡り鳥の北帰行は必ずしも群れでなくても大丈夫なんですね。
ここにはタカさんのようにボランティアで白鳥を守っていらっしゃる方々が大勢いらっしゃるようですね。芯から白鳥が好きなんですね。