スケッチブック

写真と文章で、日常を記録に残す

「鬼畜米英」と反日韓国

2013-08-30 14:45:24 | 政治


1941年12月8日、日本海軍は真珠湾を攻撃して、大東亜戦争に突入した。
その時私達日本人はこぞって、「鬼畜米英なんするものぞ」との掛け声で、
この戦争に全面的に協力したのである。それには、そう標榜するだけの根拠があった。

アメリカ(イギリス人)は原住民であったインディアンを数千万人も殺戮して、
土地を奪った。、1622年から1890年の間の270年間にほぼ殲滅してしまった。
さらに、西へと進み、ハワイ諸島のカメハメハ王国を滅ぼして1898年に
併合してしまったのである。(それにも飽き足らずさらに西に進んで、イラク、
アフガニスタンへと進駐したのは記憶に新しい。)

一方、イギリス人は1858年にインド全土を占領して、日本が敗戦に追い込まれた
1945年までの87年間の長きに亘って植民地支配をした。そこでのイギリス軍の
蛮行はすざましく、婦女暴行は日常茶飯であり、GDPの50%を本国へと収奪した。
おぞましいことに、優秀な青年が現れるとすぐに両手首を切り落として、独立運動に
加担するのを防いだのである。

また、オーストラリアは19世紀半ばにイギリスの流刑地として占領され、史実として
次のような悲惨な歴史が残っている。流刑者たちはアボリジニー(原住民)の女性を
暴行して混血児の誕生を防ぐために、崖の上に立たせて突き落として「楽しんだ」という
まさに「鬼畜」ならではの行いが続発した。

これらの事実はすでに日本に伝わっていたので、我ら日本人は「鬼畜米英」と呼んだのである。
その確たる証拠は、人間ならば絶対に躊躇するであろう原子爆弾を二度にわたって、
日本人の頭上に投下したことである。「日本が先制攻撃したのだから、仕方がない」と
お思いでしょうか。私は、鬼畜でなければできない罪深き行いだと思うのです。
当時、すでに日本は疲弊し、都市のことごとくは焼夷弾によって焼き尽くされて、
戦意すら喪失していた。にもかかわらず、二発も投下した。なぜか。

さて、前段はここまでとして、昨今の韓国の異常なまでの反日運動問題に移りたい。
パククネ大統領は「正しい歴史認識のない国民に未来はない」と言ってみたり、在米韓国人が
いわゆる従軍慰安婦の銅像を建てたり、サッカー場で、日本の初代総理大臣であった
伊藤博文を暗殺した安重根の肖像をかかげたり、次々と敵意を示してくる。

なぜこうも言いつのるのか。この問いに答えるには多くの時間が要するので、ここでは
前段の鬼畜米英との関連を述べたい。鬼畜米英で敗北はきっしたが、われわれはインドを
はじめとして、多くのアジア諸国の独立に貢献した。それを契機にして、欧米の植民地は
ことごとく独立を果たして、いまや植民地は消えた。日本の貢献は大きかったのである。
ロシア、オランダ、イギリス、アメリカと主要白人国家と戦った有色人種は日本人だけだ。

韓国人は李氏朝鮮時代から、600年近くの間、儒教の影響を強く受けて中国を「大中華」、
朝鮮半島を「小中華」と今でもみなしている。そして、仏教国家の日本を「野蛮人」だと
見下している。いわいる朝鮮民族優位主義がそれだ。彼らから見ると中国は「父」であり、
半島人は「兄」、(だから、中国からなにをされても文句はいえないし、言わない)。
そして日本は「弟」なのである。その低い位置にある日本に36年間も併合されていたのは、
なんとしても許せないのである。認めたくないのだ。恨(ハン)が骨の髄まで染み込んでいる。
それに加えて、いわいる併合時代の「大日本帝国」が、戦争に負けたにもかかわらず、
いち早く復興し半島人民よりもすべての分野で優れている。このことに腹が立つのだ。
激しい怒り(火病)となる。

「鬼畜米英」思想も「朝鮮民族優位主義」思想も、その根源は教育にあると言わざるを得ない。
幸い日本には万物流転あるいは諸行無常という伝統的な仏教的思想が底流にあるから、いまや
大東亜戦争に入らざるを得なかった理不尽な列強の圧力などを忘れ去っている。そして、
米英を憎んだりはしない。むしろ親米、親英となっている。しかし、徹底した反日教育をした
半島では、国民性(思想や宗教)の違いから、恨(ハン)は続くのである。

パククネ大統領は「千年たっても忘れない」と公言しているのだから、いまは、我々としては
手のほどこしようがない。「火事と葬式」の時だけ挨拶をするという関係を保つしかないのである。



最新の画像もっと見る