アメリカ生活の想い出

1987年から5年間アメリカで過ごし全く英語が出来ないのに、地元のお年寄りと知り合い学び楽しく過ごした記録です。

アメリカで知り合った人達の想い出

2015-02-22 21:25:15 | Weblog

私がアメリカに5年間過ごしたときは47歳~52歳の時でした。

全く英語は出来ない状態でどのようになるか不安でしたが、89歳になるアメリカに住んでいるイギリス人のエレンさんにお会いしお付き合いした

その想い出を記録に残したくホームページを作りました。

Welcome to まさこの窓」←クリック

エレンさんは102歳で亡くなりましたが89歳から101歳まで私へお手紙をいだだきました。

ホームページの中に「エレンさんの手紙」があります。

アメリカで習ったステンドグラスのランプや小作品があります。

 

 


サビーナさんのアパートを訪問

2014-04-02 09:47:04 | Weblog

日本に帰国の時彼女に私の中古車を譲りましたが、自動車の免許を取るつもりでしたが気が小さいため取りませんでした。

それから時々アメリカへ行く機会があり、まだカルファルニアに住んでいたので彼女に会いに行きました。

彼女の住んでいたマンションはニューポートビーチにある見晴らしのよい高級住宅地にありました。

まだ私がニューポービーチに住んでいるときは、ゲートを通るとき彼女に暗証番号を聞き自動車を乗り入れました。そのマンションの一番上の部屋でした。

日本に帰るときにサビーナさんとご主人をお招きして日本料理をご馳走し、またサビーナさんもドイツ料理のレストランでご馳走になったことがあります。

帰国ご訪問したときは一度手料理を頂いたときがあります。彼女が一生懸命作った暖かいドイツ料理でした。

娘さんと息子さんの住んでいるドイツに戻り住んでいますが、今が彼女にとって一番いいときであると思っています。

 

 

 

 

 

 


サビーナ さん 

2014-04-01 09:51:42 | Weblog

長い事休んでいましたが今日から少しづつ更新していきます。

第10章アメリカで知り合った人々から ご覧ください。

 http://blog.goo.ne.jp/3710akari/e/5323209d9982b348b9b83932a17b3f16

 

サビーナーさんはアメリカ滞在中に知り合ったドイツ人です。

アメリカ国内では英語を話せない人のためにアダルトスクールがありました。そこで知り合いました。

教室で隣の席で拙い英語で話をすると、彼女は当時アメリカに婚約者と来たばかりでした。

いつも嬉しそうに彼のことについて話しをしていました。彼は神父さんでしたが、弁護士の資格をとり仕事をしています。

彼女は私より年下で気の弱い人でした。でも頭のいい人で先生に指されると黒板に書く答えは正確でした。

私から彼女のことをいろいろ聞き出すことはしませんでしたが、フランスでベトナム人と知り合いベトナムに行ったことがあると言っていました。

それから今のご主人とお会いしたそうです。

今はドイツに戻り暮らしていますが孫がいます。

娘さんと一緒に写った写真が送られてきましたが、ドイツ人と結婚した時の子供さんようです。

 

 

 

 

 

 


さきがけ

2012-09-10 08:47:47 | Weblog
拡大

ハリエットご夫妻は教会へ通っていましたが、宗教は普通のキリスト教会と少し違って、クリスチャンサイエンスという教会でした。
最初は、お話を聞いても意味が分からないので、一度教会へ一緒に連れてってもらいました。牧師、神父がいないで、バイブルを読む人は会員が読んでいるようでした。
上の写真の小冊子をもらいましたクリスチャンサイエンスモニターという報道紙があり、桜井よしこさんが一時東京支社に勤めていました。
桜井よし子さんは、英字新聞『クリスチャン・サイエンス・モニター』東京支局などを経て、1980年(昭和55年)5月より日本テレビ『NNNきょうの出来事』のメインキャスターとなった。以来、同番組で1996年(平成8年)3月までの16年間に渡ってアンカーパーソンを担当した。女性ニュースキャスターの草分けで有名です。







 

ハリエット先生について

2012-07-25 01:27:43 | Weblog
先生ご夫妻には子供さんがいませんでしたが、とても仲の良い夫婦でした。
ご主人はダムをつくるエンジニアで、結婚する前は、ハリエット先生は工事現場まで会いに行ったそうです。
ハリエット先生はカナダのバンクーバーに住んでいて放送局のアナウンサーをしていました。
発音は完璧です。丁寧に教えてくださったのですが、先生の発音の声と私の口から出る発音が違うのです。
一生懸命真似をするのですがなかなかできなくて申し訳なく思っていました.
出来の悪い生徒でも先生の家に通うのが楽しくて、週に1回ですが毎週楽しみにしていました。

お月謝を払いたいと言うとボランティアだからと言って受け取ってもらえないので、
お花を贈ったり私の作ったランプを送ったりしました。そうするとすぐに写真を撮って送ってきました。
拡大
拡大

いつも喜んでもらえました。

ハリエット先生

2012-07-19 07:06:52 | Weblog

私がカルフルニア州ニューポートビーチに住んでいた時に、知り合った個人的に英語の勉強を教えていただいた先生でした。

ハリエット先生は、私の作ったホームページに知り合った時のことが載っています。
そしてご主人は2000年の時に亡くなり、ハリエットさんは2002年に亡くなりました。
住んでいた家は売られ何回か住人が変わりましたが、住んでいた地域は高級住宅地です。
今年の五月に元ハリエットさんの家によると、家の広さは変わらないと思いますが、外装がきれいになり、家が売りに出されていました。

お値段は1億円以上でびっくりしました。私がハリエットさんの家に通った時は、部屋は5ツあり、プールもあって、
外から見るとわかりませんが結構広いと思いました。
しばらくハリエット先生の想い出を書いていきます。

第10章 アメリカで知り合った人々

2012-06-17 14:13:33 | Weblog
アメリカで5年間過ごして、知り合った人はエレンさんと次はハリエットさんとリタ・内山さん3人が特に印象深い人たちでした。
もう3人の人たちはもうなくなられています。
現在、クリスマスカードのやりとりだけですが、チェコに住んでいるベラさんとフランクさんと そしてドイツに住んでいるサビーナさんだけに
なりました。アメリカで知り合った人ですが、それぞれ生まれた国に帰っています。
次回はベラさんとフランクさんの国を訪問したり、観光した紀行文を書いて行きたいと思います。

2009年3月23日第9章を終わらせしばらく休んでいました。
私の作ったHP「Welcome toまさこの窓} の表紙をホームページビルダーが使えなくなり
第10章が表紙に記載できませんが、gooのブログで引き続き書くことが出来ますのでよろしくお願いします

更新していますので、最新記事をクリックしてください。

このページの次回の記事は ↓ ウィンとチェコ   をクリックするとアメリカで知り合った人々が順番に見られます。



エレンさんとの想い出

2009-03-23 04:56:07 | Weblog
この手紙は私の義兄S氏に訳して頂きました。
私なりに辞書を引きながらエレンさんの手紙を訳し理解していたつもりでしたが、訳し足りないところが多々あり、訳していただいた手紙の内容からあらためて知った部分がありました。

エレンさんの手紙はアメリカのお年寄りの様子が少しわかります。
家に閉じこもらず、シニアセンターに行き、ボランティアやダンスをして過ごされています。
家では、息子さんに旅行につれて行ってもらい、各地の景勝地を訪れ楽しまれています。
お誕生日には息子さんがエレンさんのお好きなものを選ばれお祝いしてもらい喜んでいる様子がわかります。

イギリスのお姉さん、エレンさんお二人とも100歳を迎えられ、私がエレンさんとお付き合いしてお話していると、とても優しく穏やかな人でした。
でも、長男に先立たれ、お友達とも別れを告げ、悲しいこともありましたがエレンさんなりに乗り越えてきています。

健康面では病気をすること多くなり、手で物を掴めない状態になったことはとても辛かったと思いますが、息子さんが良く介護なされていました。

もっと英語の勉強を熱心にしていれば、エレンさんとの交流がより一層深くお付き合いできたかと思うと残念です。
でも、私からの手紙はエレンさんにとって少しは慰めになったのではないかと、私なりに思っています。


エレンさんの手紙 101 歳

2009-03-22 06:28:55 | Weblog
18/April/2001 (消印の日付)
Dear Masako
ご家族皆さんお元気のことと思います。
音楽入りバースディカード有難うございました。101歳としてまずまず順調です。
毎週水曜日にはシニアセンターへ行っています。しかし、現在は今までのように仕事が出来ず、私の仕事を引き継いだ英国人の友人のそばに腰掛けているだけです。
私の指は麻痺して物がつかめません。ピーターが我慢強く私に尽くしてくれて、全部の買い物、料理、家事をしてくれます。彼と一緒で私はとても幸せです。
又こちらに来られた時にはお目にかかりたいと念じております。
Love,
Ellen

エレンさんの最後のお手紙です。