アメリカ生活の想い出

1987年から5年間アメリカで過ごし全く英語が出来ないのに、地元のお年寄りと知り合い学び楽しく過ごした記録です。

お誕生日祝い

2012-07-31 06:45:58 | 旅行
ハリエットさんの夫チャールズさんは私の夫ひさしと仲が良く
ハリエットさんとチャルズさんからお誕生日のお祝いにプレートをプレゼントされたことがありました。
夫の誕生日は4年に1度の2月29日です。
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こんな素晴らしい贈り物をもらったのは初めてでとても喜んでいました。
私たちはよくディナーにお招きしてお食事をご一緒しました。遠くに出かけるときはいつも夫が運転手でした。
私はあまり英語で会話が出来なくて、夫がご夫妻と話し合い、そして私に通じていました。
おそらく、夫がいなかったら深い付き合いはなかったと思います。

私もハリエット先生にいただいたのもがあります。
それが大切にしている、ハリエット先生が結婚するときにお母さまからお祝いにいただいたディナーセットの食器の一部の小さいお皿です。
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ハリエット先生について

2012-07-25 01:27:43 | Weblog
先生ご夫妻には子供さんがいませんでしたが、とても仲の良い夫婦でした。
ご主人はダムをつくるエンジニアで、結婚する前は、ハリエット先生は工事現場まで会いに行ったそうです。
ハリエット先生はカナダのバンクーバーに住んでいて放送局のアナウンサーをしていました。
発音は完璧です。丁寧に教えてくださったのですが、先生の発音の声と私の口から出る発音が違うのです。
一生懸命真似をするのですがなかなかできなくて申し訳なく思っていました.
出来の悪い生徒でも先生の家に通うのが楽しくて、週に1回ですが毎週楽しみにしていました。

お月謝を払いたいと言うとボランティアだからと言って受け取ってもらえないので、
お花を贈ったり私の作ったランプを送ったりしました。そうするとすぐに写真を撮って送ってきました。
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いつも喜んでもらえました。

ハリエット先生

2012-07-19 07:06:52 | Weblog

私がカルフルニア州ニューポートビーチに住んでいた時に、知り合った個人的に英語の勉強を教えていただいた先生でした。

ハリエット先生は、私の作ったホームページに知り合った時のことが載っています。
そしてご主人は2000年の時に亡くなり、ハリエットさんは2002年に亡くなりました。
住んでいた家は売られ何回か住人が変わりましたが、住んでいた地域は高級住宅地です。
今年の五月に元ハリエットさんの家によると、家の広さは変わらないと思いますが、外装がきれいになり、家が売りに出されていました。

お値段は1億円以上でびっくりしました。私がハリエットさんの家に通った時は、部屋は5ツあり、プールもあって、
外から見るとわかりませんが結構広いと思いました。
しばらくハリエット先生の想い出を書いていきます。

乗り換えの空港で・・

2012-07-04 07:47:36 | 旅行

観光中に、プラハから娘へ、国際電話をした。「チェコの首都プラハは街全体が美術館で建物を見ているだけでも楽しい。

是非、これからの旅行にはプラハを観光するといいわ」と興奮して伝えていた。

首都プラハは、ヨーロッパの中世の雰囲気が、そのままが残っている建物が多い。戦争で爆弾が落とされなかった。

ベトシーンの丘からの眺めは、たくさんの塔が林立していた。「百塔の町」と言われている。このような都市は他の国にはないと思う。

泊まったホテルの朝食はバイキングで、美味しいものばかりであった。

ソーセイジは種類も多く、ベラさんがランチにだしていた、蒸しパン だんぶりん は柔らかく美味しかった。だんぶりんとベラさんが言っていたが、

クリドリーキのことでチェコ料理で有名です。   朝食、昼食、はベラさんの手作りで、夕食は、甥の家などで、チェコ料理をご馳走になった。

ホテルの朝食は美味しいので少し食べ過ぎだったが、お昼は簡単にして、夕食は中華にした。



2001年9月12日

朝7時20分にホテルのチェックアウトして、タクシーで空港へ。

フラントフルトで乗り換える。飛行機は日本人が約7割。

夫の手荷物と一緒に一人で番をしていたら、

「〇〇〇 マサコさん 大至急〇〇までお越しください」

フランクフルトの乗り換え場所で待っていると、放送された。びっくり仰天・・

なぜ私の名前が呼ばれるのか わからない。帰りの手荷物は増えて多く、二人分を抱えることができない。どうしよう どうしよう と思っておろおろしていると、また、

「〇〇〇 マサコさん、〇〇〇 マサコさん 大至急きてくだい」

と、大きく放送された。

そのうちに、夫の顔が見えてきた。「悪い、悪い、マサコの航空券をおとしてしまった。いま話してきたから」と、いう。

フランクフルトで、私の名前が大きく放送されるとは、パスポートと空港券すべて夫が所持していて、身分証明するものがないと、いつもほんとうに心細かった。

自分のものは持ちたいと言っているのだが・・ 海外旅行は各個人で持たなくてはならない。

これも、予想もつかないことであった。10年前のことなのにしっかりと覚えている。

この旅行からパスポートや航空券は各自で持つことになった。

2001年9月13日 東京成田に午前8時着、お昼には家に着いた。このあとしばらく空港はテロのため飛行機が飛ばなかった。


ベラさんにお礼の電話をすると・・・・

2012-07-03 06:31:32 | 旅行
2001年9月11日

今日はプラハ観光最後の日。

★ユダヤ人街、墓地をみる。

ユダヤ人は迫害を受け、墓地は狭い敷地しかなかった。何層にも重なったお墓であるという。

★旧市街地にもう一度行き、天文時計台をみる。

★ミューシャ美術館  聖ヴィート大聖堂に、ミューシャのステンドグラス窓がある。

★市民会館

★国立博物館 鉱石で有名


市民会館の中を見学、出入り口のところに、ステンドグラスがあった。
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正面が国立博物館。この大通りはプラハの春で有名な場所である。
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この通りはよく歩いた。右側の奥のビルの二つ目手前のところを入るとホテルがある。

夕食を食べたり、お土産を買ってホテルに帰り、ベラさんとフランクさんにお礼の電話すると、

「テレビをすぐにつけなさい」
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画面が出てきた。2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件の一場面。

テレビドラマの一場面だと一瞬思った。

チェコの国の泊まったホテルで見たことは、強烈な印象を受け、一生忘れることはないでしょう。


芸術と歴史の街 プラハ

2012-07-02 05:11:55 | 旅行
プラハの中心地の、国立博物館のそばのホテルに泊まっているので、観光にはとても便利だった。
街全体が美術館ののようだだった。建物が素晴らしい。広くないので次々に有名な場所を見て歩く。

1日の観光した場所を箇条書きにしてみる。

★ベトシーンの丘

★聖ヴィート大聖堂 

★聖イジル修道院

★旧王宮

★聖ミクラーシュ教会

★カレル橋

★旧市街広場、旧市庁舎、展望台に昇る。天文時計をみる。

★ヤンフス像、

★火薬塔


旧市庁舎の天文台の前で
時間になると大勢人があつまる。高いところにある二つの窓から聖人が顔をだす。
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写真はカレル橋











プラハ観光

2012-07-01 08:57:21 | 旅行
2001年9月10日~11日

6時30分起床。タクシーでベトーシーン丘へ行く。プラハの街が見渡せる。
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ベトシーン公園の展望台の近くにあるヴァヴジネシェ教会

朝早いので人がいない。本当に素晴らし眺めであった。屋根は、だいたい同じ色で小さい塔がたくさんある。

ここからゆっくりと丘をくだる。先ず、プラハ城をめざす。
途中で、修道院の建物などあるが、外から眺めるだけ、お城の近くにくるともう観光客が大勢いた。

聖ヴィート大聖堂から見学。
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写真は、他の塔を登った時に写す。大聖堂は壮大なゴシック様式、1929年に完成。

窓はステンドグラスである。私の大好きな世界。
この窓の中にチェコの芸術家のミューシャの窓があった。大勢の人が群がっていた。


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ミューシャのステンドグラス作品。あちこちで観光客が説明を聴いている。日本人の観光客もいた。

次は、同じ城の中にある旧王宮を見学、天井の模様が面白い。


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ゴシック様式である。 敷地の中には大統領の官邸もあり、建物の前にはチェコの旗がかかげてあった。