アメリカ生活の想い出

1987年から5年間アメリカで過ごし全く英語が出来ないのに、地元のお年寄りと知り合い学び楽しく過ごした記録です。

フランクさん生家

2012-06-30 06:49:00 | 旅行
2001年9月8日~9日

朝8時にセチン出発。運転はいつもベラさんです。話をしながらの運転で慣れているらしい。

賑やかなセチン中心地から離れて広々した、田園地帯に入っていく。対向車も少ない。

先ず、最初に今晩泊まる家に行き、ランチをご馳走になる。


あかるい奥さんである。美味しいランチを食べた後、次はフランクさんの生家へ、

今は、81歳になる兄嫁と甥が住んでいる。娘夫婦や孫たちがあつまり大勢で出迎えてくれた。

夕食をご馳走になり、村の集会場でダンスパーティーがあるからと一緒に行く。



村の人たちが大勢あつまり、楽しそうにダンスをしたり、話し合っている様子を見て、田舎の人たちの娯楽の一つだと思った。
翌日の朝は、フランクさんに村の中心地を案内してもらう。やはり教会がある。

朝早いので人が少ない。セチンの賑やかなところと比べると、建築物は少ないが、綺麗な建物である。

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それから、フランクさんのお姉さん87歳に会いに行く、大きな農家で、びっくりする。

キッチンには、大きな煉瓦作りの暖炉トーチカがあり、全部屋を暖めお料理もできるようになっていた。

お昼は、フランクさんが親戚の人たちをレストランを借り切り、ランチのご招待をする。

幼児の子も一緒の家族など、68人の人が集まった。



上の写真の左側にいる、上席のお姉さんと並んで座らせられた。お料理も次々にでてくる。

ベラさんとフランクさんは子供さんがいないので、皆さんにいつもお小遣いをあげている。

ベラさんは袋をつくり、一人づつに手渡していた。いくらお金持ちでもなかなかできるものではない。

フランクさんの農家の様子、集会場でのダンスパーティー、レストランのお食事、

どれをとっても物珍しい事ばかり、いい体験が出来てよかったと思った。

レストランからペーターさんの運転で、ベラさんと一緒に、チェコの首都、プラハ まで送ってもらった。




セチンの街中を歩く

2012-06-29 07:48:24 | 旅行
2001年9月7日

朝食後、二人で近くを散歩する。

家を出て道路を渡り坂道を歩いていくと、遠くのほうに牧場が見えてきた。白い羊がいるのが目につく。
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歩いている途中で、白い箱が道路際に並んでいたので、帰りに近づいてみると、家庭からでるゴミの分別箱であった。
この地域の人たちが自動車で運んでくるらしい。ゴミの取集場所もなかなかスマートである。
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その後、ベラさんの運転で街中へ行く、3人でセチンの1番賑やかな街中を歩いた。

セチンの中心地なので大きな建物が多く賑やかである。この商店街の中にある銀行に勤めていたという。

教会や市庁舎などの説明を聞いて歩いていると、ベラさんのお友達らしい人に出会い、しばらく立ち話をしていた。


それから、ベラさんのお友達が経営するケーキ屋に寄る。久しぶりに会うのか、ペチャクチャと長いこと話をしている。
その間にシュークリームをたべる。


この後、街から離れたところにある、ベラさんの別荘へ行く。
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山小屋風にできていて、部屋の中はこじんまりとできている。

ベラさんの小さい頃の写真など想い出の写真が飾ってあった。

気分晴らしに来るだけで、甥の子供たちがよく利用するらしい。

庭にはプルンの実が熟しているのに、採らないでそのままにしてあったので、しばらく一人で実を食べていた。甘くてとても美味しかった。

ベラさんはいつも行く隣の農家に挨拶にいく。お婆さんが出てきた。

一瞬ハッとする。亡くなった母に似ている。写真を撮るのを嫌う。部屋は2つあり大きい。

ベットルームとダイニングキッチンで、いつも暖かくしているキッチン内の隅に小さいベット置き、寝起きをしている。1日中同じ部屋で過ごしているという。陽が差し込んでいる暖かい窓際のテーブルで少し話をした。

夕食は、ウィーンに迎えに来た運転者のペーターさんの家でバーベキューをご馳走になった。

庭に暖炉があり、外で食事ができるようになっていた。夜はさすがに肌寒く、夫はコートを借りていた。

お肉が柔らかく美味しかった。ペータさんの奥さんや子供たちが可愛い。
















学校・工場見学

2012-06-28 07:47:28 | 旅行
2001年9月6日

朝は6時に起きる。朝食後、

★ ベラさんの甥の子供たちが通っている高校へ、お教室などを覗く。

★ ウイーンに迎えに来た、運転者ペーターさんの経営する会社の工場を見学。

社長室に入ると日本の天皇皇后陛下の写真がかざってあった。日本が大好きとのこと。

街中へ行き、ワインの空瓶を持って、ワインの中身だけを買ってきた。

そして家にかえる。

夕食はベラさんの甥の家でごちそうになる。甥はで高校の校長先生である。




右側が朝食風景。お土産に持ってきた日本のこけし人形が飾ってある。


夕食の時の右側の人がベラさん。どこに行ってもベラさんはお話が上手で賑やかであった。

私たちには、チェコ語で話しているので、何を話しているか全くわからないが・・・

ベラさんとフランクさんのことを少しお話します。

お二人は前の人がなくなり、再婚同士、同じチェコ人で、偶然にもフランクさんが、ベラさんのお父さんの経営する会社で働いていたとのこと。

ベラさんとフランクさんには子供がいない。

ベラさんは裕福な家庭のお嬢さんで、お姉さんがいたが亡くなり、甥が2人と、いとこの子供たちとの付き合いを大切にしている。

今住んでいる家は、2世帯連なっている家を購入して、一人の甥家族は隣に住んでいる。

家の外見は大きな家に見える。

高校の先生をしている甥は将来は、ベラさんの家に住むらしい。

アメリカのカルフォルニアの家と、チェコの家をいったりきたりできるのは、家の管理を頼めるので安心できるとのこと。

フランクさんは若いときにアメリカに渡り、結婚したが、貧乏暮しであった。

無駄遣いはせず、こつこつとお金を貯めた。アパートを持っていた。

それから前の奥さんが心臓麻痺でなくなった。

美容師をしていた奥さんは、とても優しい人だったので、いつも美容にくるお婆さんを優しくいたわっていた。そのお婆さんが亡くなった時に、身寄りがなく、財産が譲られた。

ゆとりのある、ベラさんとフランクさんは、お二人で仲良く海外旅行をして楽しんでいる。

旅行先からいつも絵葉書が送られてくる。

お二人が結婚したばかりのときに、ベラさんは英語を学ぶためにカルフォルニアのアダルトスクールに通いだしたころに、私はベラさんと親しくなったのです。









セチン郊外の教会

2012-06-27 08:11:10 | 旅行
2001年9月5日

お天気の悪い日でしたが、次は、広い公園のようなところにある、民族博物館のようなところへ行く。


昔の農機具や、田舎の農家の台所、集会場等の部屋が展示されていた。


また、少し離れたところにある古い教会を見せたいと、ベラさんは張り切って運転してきましたが、
いつも教会のドアは開いていて中を見ることが出来るのに、その日は閉まっていてみることが出来ず残念だった。
そして教会の写真とお墓を写した。
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絵葉書もあり有名な地方の教会らしい。
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その日の夕食はベラさんの親戚の家でごちそうになる。





ベラさんの家

2012-06-26 15:02:15 | 旅行
2001年9月5日
ベラさんの家で朝の8時に目が覚める。
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私たちの部屋は、2階のゲストルームの3部屋ある中の一つであった。

そして、ご夫婦の寝室と浴室、トイレがある。どの部屋も意匠をこらし、個性的な部屋になっている。
朝食は、フランクフルトソーセイジと野菜、パン、コーヒーであった。

パンが飛び出す大きな縦長のトースターの様なものがおいてあるったので、パンを焼くのかと思ったら、ソーセイジを釣り下げ暖める、厚みのある縦長の器具であった。

ベラさんのご主人はフランクさん、カルフォルニアの時からで、久しぶりにお会いしましたが、お二人とも変わらず、暖かく迎えてくださいました。
どちらかと言えばベラさんのほうが行動力があり、フランクさんはおとなしい。

すでに、私たちの観光案内の企画が出来て、朝食後、すぐに自動車に乗り、先ず、知り合いの画家の家に行く。
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アトリエと画廊を一緒にした私設ミュジアムのようなところで、広い芝生あり、絵を観ながらゆっくり休めるようになっていた。

小さい町なので、ここは話題にのぼり、お客を案内するところになっているところではないかと思った。

次は、スロバキアの国境が近くなので、どうせだからと出入国をしてパスポートにその記録をもらいいましょうということで、少しお天気が悪かったのですが、国境へ向かった。

国境の検問所で、私たちは自動車の中にいて、パスポートをベラさんに渡し手続きを取ってもらった。チェコ語を話せない私たちにできることではありません。

検問所では、私の夫の誕生日が、2月29日であることが話題になり、笑いながら判を押してくれたとのこと。

予想外のことでしたが、これも旅のいい記念になった。



チェコ ベラさんについて

2012-06-25 08:04:24 | 旅行

私がベラさんと知り合った場所は、カルフォルニアに住んでいたころ、無料で英語を教えているアダルトスクールでした。

アダルトスクールでは、最初は、日本人同士で話しをしていましたが、転勤やら帰国やらで日本人がいなくなり、

そして同じ教室にいた、ドイツ人のサビーナさんと、チェコ人のベラさんと話をするようになり、親しくなりました。

当時ベラさんは、今の私と同じぐらいのお歳でしたが、とても元気な方で、積極的に彼女のほうから皆さんへ話しかける明るい人でした。

毎年クリスマスカードをもらいましたが、チェコに家があるので、是非遊びに来てほしいといつも書かれていました。

チェコの家とアメリカのカルフォルニアの家を持っていて、行ったり来たりしていました。

今回の私たちの企画をとても喜んでいて、オーストリアのホテルへ迎えに来てもらうことになりました。

夕方、ベラさんの従弟の長男さんに運転してもらい、2人できました。

チェコの住んでいるところは、ウイーンから150キロ離れてところで、チェコの国の東側でスロバキアの国に近い、小さい町セチンです。
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観光地ではありません。

夜で外の様子はわからなかったのですが、自動車は、結構なスピードで走り、ベラさんの家に無事につきました。

夜のセチンの街です。右側のスペルでセチンと読みます。












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最終更新日 2011.07.13 07:19:46


ウィーンの森

2012-06-24 14:57:07 | 旅行
2001年9月4日

ウィーンの森へ、4時間コース、ガイド付きバスツアーに参加、集合場所はホテルの近くにある国立オペラ劇場の前であった。

最初に寄ったのはツイスターツエンダ修道院。

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写真は絵葉書であるが、広大な敷地の中にこのような建物があるかは、観光客からはわからない。

ツイスターツイエンザー修道院は、1133年に創立、40人の修道士がすんでいる。

バスの車窓からは、緑豊かなウィーンの森がみえる。

修道院の中に入り、先ず、ステンドグラス窓に圧倒される。
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絵葉書

1889年1月皇太子ルドルフはウィーンの森の狩りの館、マイヤーリングで、彼の愛人とピストル自殺をした、カルメリツタリンネン修道院と、事件の起きた部屋のあった場所に建った、修道院の追憶のチャペルのある建物ににも寄った。


どこもステンドグラス窓が素晴らしかった。

次は保養地ハーデンに行く。温泉がある。
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ここにはべートーベンの家があり、ここで第九交響曲の一部をかいた場所でもある。

最後に、ウィーンの南西部郊外にある、ヨーロッパ最大の地底湖~

もとは石灰岩の地下採掘場だったが1912年に大量の水は墳出し、地底湖となった。

入口から洞窟の中を歩き、長い階段を降りると湖があった。観光客はボートに乗り見学する。結構な広さであった。

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seegrotte地底湖の絵葉書。

ホテルに帰る。
今日はチェコの友達のベラさんが自動車で迎えに来るので待っている。久しぶりに会うベラさんです。

シェーンブルン宮殿

2012-06-23 17:39:43 | 旅行
2001年9月3日

ホテルで朝食。すぐに地下鉄の1日券を買う。地下鉄でシェーンブルン宮殿へ行く。

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ウインで最も訪問客の多い観光名所になっている宮殿である。

メインの建物1441の部屋の45室公開されている。

庭園が素晴らしい。

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広いフランス式庭園を挟んで、宮殿の向かい合う丘の上にクロリエッテという、

戦いの勝利と戦没者の慰霊のためにたてられたギリシャ建築の建物がある。

大勢な人が丘の上に向かって歩いているので、一緒に行くが結構な距離があった。
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クロリエッテから宮殿の方面を撮る。

建物は未完成である。

宮殿を観光後、ホテルに帰り、近くの賑やかなケントナー通りのお店を見て子供たちのお土産を買って、夕食は中華料理を食べる。


大聖堂 

2012-06-22 18:16:51 | 旅行
2001年9月2日

シュテファン大聖堂がホテルの近くにあった。

塔の高さが一番高く、どこからもすぐに見える、シンボルの建物である。

昔は下の部分が黒くなかったと思うが、近くにいると暗い。

ゴシック様式の建物で、屋根は雪が積もらないように急勾配であった。

近くの塔に上り、大聖堂の屋根を写す。

模様のある瓦屋根のデザインは素晴らしかった。


シュテファン大聖堂の中に入る。やはり中も暗い感じだった記憶がある。


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全体像が載っている写真を借りる。近くから大聖堂全体を撮るのは難しい。

ホテルから歩いていける範囲に、ウイン国立オペラ劇場、王宮、美術歴史博物館、ベルべデーレ宮殿があった。

建物の中に入り見学する。オペラ劇場は聴きたかったがゆとりがなかった。

歴史ある建物の前で写真を撮ったものがたくさんあるが、人物が一緒に写っていないものを載せたいので探すがあまりない。

人物の入らない写真を撮ると、絵葉書のほうがよくうつっているからと言われたが、私なりに数少ないが、素晴らしいと感じたところや、なるほどと感心した場面を撮ってみた。








ドナウ川

2012-06-21 10:53:10 | 旅行
2001年9月2日

ホテルに夜についたのでよく眠れた。早く目が覚める。

観光案内の地図をみるとドナウ川が歩いていけそうな所にあったので、朝早く散歩がてら徒歩でいく。

地図の上では近くても意外と距離があった。まだ人影がない静かな町を通り過ぎ歩いていくと、可愛いお城が目についた。
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歩いていくうちに、自動車の通る音が多くなってきた。

大分歩いたようだ、足も疲れてくる。

そのうちに大きな川が見えてきた。

途中でいくつかの川の橋を渡ってきたが、さすがに大きなドナウ川である。

流れは緩やかであった。

ADMIRAL TEGTTHOFF と、書かれた船体に、細い赤の線が入った白い観光船が停泊していた。

すぐに出発するらしい。大勢の人の顔が見える。

オーストリヤドナウ川クルーズの船である。
ベンチがあったのでしばらくドナウ河を眺めながら休む。