極私的映画論+α

+αは・・・日記です(^^;
最近はすっかり+αばかりになってしまいました(笑)

赤穂史跡めぐり

2012-10-09 19:38:04 | 西国三十三箇所・新西国霊場巡礼

 幼い頃から赤穂には何度も足を運びました。そりゃそうだよね(笑)ご先祖様のお墓があるし、我が一族は赤穂の瓦屋で郷士でもあったそうです。その割にはご先祖を大事にしないっていうか。。。今回お参りした前は4年半前だったし、その前は20年近く赤穂には来てませんでした。

 言い訳がましいんだけど、私の父は商売人でありながら運転免許を持ってなくってね。おやじの弟たち・・・要するに私の叔父たちですが、彼らが独身の頃はそれこそ顎でこき使ってたんです。もちろん叔父たちの両親も(私の祖父母ね)ここで眠ってるわけだし、お墓参りも当然なのですが。で、彼らもそれぞれ世帯を持って、それまでのように顎で使えなくなってからは赤穂も疎遠となってしまいました。もっとも父は我が両親が眠っているので当然のように毎年一度は必ず墓参りには来てたみたいです。JRを利用してね。


 で、私が免許を取ってからは私がもちろん運転手でしたが、私自身はこの32年間で5回くらいしかお参りしてないかも(笑)

 前置きが長くなりましたが、要するに私は赤穂は幼い頃から何度もきていますが、ほとんど観光をしたことがないんですね。で、今私は「新西国三十三箇所」の巡礼を楽しんでいますが、赤穂浪士の菩提寺でもある花岳寺(かがくじ)が三十一番の札所ってことで、みんなを「かんぽの宿赤穂」に放り込んでおいて、私は一人で1時間半ほど赤穂史跡めぐりを楽しんだってことです。







 まずは大石神社です。山門までに四十七士の石像があなたをお迎えしてくれます(笑)明治から大正にかけて作られた新しい神社で、もちろん祭神は赤穂四十七士です。





 大石邸長屋門。大石神社は赤穂城の敷地内にあった大石邸にあった小さな祠が起源なんですね。





 赤穂といえばこの景色が必ず映りますが、大手隅櫓と大手門です。これも新しいもので、今現在徐々に再建され、往時の雰囲気を味わうことができます。





 赤穂城からおよそ500mほど北に歩けば花岳寺に。花岳寺も新しいお寺で17世紀の半ばに、赤穂当主であった浅野家の菩提寺として作られました。1701年に「松の廊下の刃傷沙汰」がおき、翌1702年に吉良邸討ち入りが起きました。1702年に江戸の泉岳寺(江戸での浅野家菩提寺)にて、四十七士は切腹しますが、その37年後に、この花岳寺に四十七士の遺髪をもって墓所となりました。





 正面が浅野内匠頭。向かって右が大石良雄(大石内蔵助)左がその息子大石主税の墓です。これら3人を囲い守るように残りの義士たちの墓がありました。切腹にて果てた故に墓石には「刃」という字が彫られていました。





 ご先祖が赤穂出身の私ですが、今回はじめて赤穂浪士のお墓を参ることができました。

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2 コメント

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こんばんは (kazu)
2012-10-11 22:40:16
見たことのある景色、
昨年行きました。
なつかしいです。
花岳寺は時間切れで行くことができず残念。
しんちゃんのご先祖は赤穂の郷士だったんですね。
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なんですよ(笑) (しんちゃん)
2012-10-12 17:00:58
★kazuさん
もっとも、私の曾祖父さんが大阪に出てきて以来、ずっと大阪なのですが。
我が一族の分家が今も赤穂で瓦屋さんを営んでいるみたいです。
返信する

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