「歴史の回想」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

「鍋島氏一族の群像」アマゾン電子書籍紹介。

2019-09-02 05:57:14 | 温故知新
「鍋島氏一族の群像」アマゾン電子書籍紹介。
「鍋島氏」(なべしまうじ)
近世大名、肥前佐賀藩主の家系に連なる一族。藤原秀郷流、少弐氏の子孫とも伝えられる。14世紀末京都北野から、肥前国佐賀郡鍋島村に土着した長岡宗元に由来しる。北九州の豪族龍造寺氏の家臣として、16世紀中ごろより頭角を現す。龍造寺隆信に仕えた鍋島直茂(なおしげ)は、大友・有馬らとの抗争で戦功をあげ、1584年(天正12年)の隆信戦死後は、その子政家(まさいえ)を補佐した。一方、九州に支配を広げた。実権は鍋島直茂に移って行った。その後、龍造寺氏の家督を相続鍋島体制が確立した。本藩鍋島氏は35万7千石余、豊臣秀吉とも独自に誼を通じて、豊臣氏直轄領長崎の代官に任じられるなど重用され、朝鮮侵略に際しては、加藤清正とともに先鋒を務めた。1590年に政家が隠居するとともに、直茂はその子高房を補佐し、事実上は支配の実権を握った。さらに直茂の子勝茂(かつしげ)は、龍造寺家の断絶によってその家督を継ぎ、佐賀藩35万7千石余を名実ともに領するに至った。藩政では「佐賀の乱」で内紛と干ばつで藩内は混乱した。支藩として、小城藩(7万3千石余)、蓮池藩(5万2千石余)、鹿島藩(2万石)が分出した。明治に至り、侯爵、支藩は子爵となった。