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「歴史の回想」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

「保科氏一族の群像」アマゾン電子書籍紹介。

2019-09-14 06:07:02 | 温故知新

「保科氏一族の群像」アマゾン電子書籍紹介。
中世から近世の武家。平安末期に信濃国高井郡保科に発祥。養和元年(1181)横田河原の合戦で、保科権八が越後平氏方に、保科太郎が源義仲方に属した。その後、御家人になり、承久の乱に活躍した。中先代の乱では北条時行方の大将として船山守護所を攻撃した。室町時代には高井郡河田に保科長光・長経・信光、伊那郡藤沢に高遠諏訪継宗の代官として保科家親・貞親らが活躍。高遠諏訪氏が武田信玄に滅ぼされると、武田家臣だった保科正俊・正直らが台頭、徳川家康の下で大名化し、下総多古に移った。正光の代に高遠藩主となり将軍秀忠の子幸松を養育した。正之は出羽20万石から会津藩主となり、正直の三男正貞は上総飯野藩主になった。京都守護職就任し保科氏から「松平容〇」の改姓をするが、自身は保科氏として振る舞い、幕政の要職を求められる大名に変化していった。その見返りに優遇されたが、幕末には長州征伐に動員される。


『風雲三好一族の攻防』アマゾン電子書籍紹介。

2019-09-14 06:05:34 | 温故知新
『風雲三好一族の攻防』アマゾン電子書籍紹介。
下剋上の風雲児三好長慶が京都を支配し、一時期政権を掌握した。父の主人細川晴元と対立したが和解して晴元と戦ったが、叔父政長と対立を機に、晴元と決裂し戦う、晴元と傀儡将軍足利義輝は敗れ京都を離脱、細川氏綱を擁して上洛、京都を支配した。摂津国芥川城を本拠に政権絶叫期を迎えるが、一族の相次ぐ戦死に自身も河内国飯森山で病死した。後を引き継いだ三好三人衆が長慶の家臣松永久秀と畿内で抗争し、一向宗らと連携したが、内紛化や信長の台頭に弱体化し離合集散を繰り返し、歴史の舞台消えていった。


『秀次切腹事件』アマゾン電子書籍紹介。

2019-09-14 06:04:05 | 温故知新

『秀次切腹事件』アマゾン電子書籍紹介。
豊臣秀次は、秀吉の甥である、若くして人質同様に養継子に送られ、武士として一人前になって秀吉引取られた。秀吉に継子が居なかったために、秀長、秀次は重用された。秀吉は継子を諦めたかのように、秀次を関白の位を譲り、ゆるみと驕りの素行の見受けられ世間の冷ややかな評価の最中、秀吉に待望の秀頼が誕生した。秀次の事態は急変、謀反の疑いが巷に広まった。秀吉に弁明をするが、高野に行くこと命じられ、警護は解かれて、賜死を命じられ、家臣共々切腹を強いられた。事は家臣だけではなく、一族眷属、老若なんよ死罪、遺体は四条河原に掘られた溝に打ち捨てられて、秀次は晒し首にされた。非情な秀吉の仕打ちには多くの謎が秘められて、秀吉の晩成を汚す大きな出来事であった。