「歴史の回想」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

「後北条氏一族の群像」アマゾン電子書籍紹介。BOOK★WALER電書籍

2019-09-30 04:58:22 | 温故知新
「後北条氏一族の群像」アマゾン電子書籍紹介。BOOK★WALER電書籍
南北朝から室町時代の武家。播磨守護大名で、室町幕府四職家の一つ、始祖は村上源氏の末流で、播磨国佐用荘赤松村に土着して赤松氏を称し、鎌倉初期に則景が同荘地頭職に補されたと言われる。正慶2年元弘3年(1333)赤松則村が護良親王の令旨を受け六波羅探題を攻略(元弘の変)。南北朝期は足利尊氏方として活躍し、一族の内、則村が播磨、赤松範資が摂津、貞範が美作守護に補された。則村は後は赤松則祐が家督を継ぎ、備前守護を兼ねる。その子義則は侍所頭人となり、四職家の人として勢力を拡大するが、義則の子、赤松満祐が嘉吉元年(1441)に将軍足利義教を殺害し(嘉吉の乱)幕府の追討軍に討伐を受け、赤松惣領家は一時滅亡する。長禄2年(1458)赤松氏の遺臣が南朝から神璽を奪還し、赤松政則に家督を再興が許される。応仁・文明の乱では東軍に属し、播磨、備前、美作の領国を回復。政則の養嗣子義村が守護代浦上村宗に殺害されて以降衰退し、その後、則房が豊臣秀吉に仕え但馬武田1万石を領するが、関ケ原の戦いで西軍に属し滅亡した。




「平安摂関家の群像」アマゾン電子書籍紹介。BOOK★WALER電書籍

2019-09-30 04:54:30 | 温故知新
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「摂関家。摂政・関白の職に就く家柄。9世紀後半に藤原氏北家の良房・基経によって例を開いた摂政・関白の職は基経の子忠平のとき、摂関制としての形を整えた。忠平の長子実頼は冷泉朝の関白・円融朝の摂政となる。その没後は、外戚政策に成功した実頼の弟師輔の長子伊尹が継ぐが、伊尹の弟兼通・兼家の対立の結果、関白となった実頼の子頼忠を最後に、摂関は兼家に独占される。兼家の子道長は、兄たちの後を受けて関白に準ずる文書内覧の宣旨を受け、未曾有の外戚関係を構築する。外孫の後一条天皇の摂政になったが、短期間で摂政を若年の長子頼通に譲り、背後でこれを支えた。以降摂関の地位が、外戚関係に関わらず、道長の子孫に継承される前例を開いたと言える。鎌倉時代に入ると、忠通の嫡男基実を祖とする近衛家、その弟の兼実を祖とする九条家、近衛家に分かれて兼平を祖とする鷹司家、九条家より別れ、良実を祖とする二条家、更の一条家に分かれ、五摂家として権勢をふるっていった。

「千葉七族の群像」アマゾン電子書籍紹介。BOOK★WALER電書籍

2019-09-30 04:49:18 | 温故知新
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中世の武家。院政期に下総国千葉荘を名字の地として成立。へら忠常の子孫。嫡流は下総権介を世襲したために、本領地名を合わせて千葉介と称した。鎌倉幕府成立の際千葉常胤が活躍して下総守護のほか各地所領を獲得。以後、一族の多くは「胤」を名の通字とした。13世紀後半から伊賀守護を兼ねる。蒙古来襲来の際には、宗胤が肥前小城郡に下向したため、弟の胤宗が千葉介を継承。宗胤の子孫は肥前千葉氏となり、室町時代には小城・佐嘉・杵築3郡に勢力を振るったが、やがて龍造寺・鍋島氏に従属した。一方、胤宗の子孫は室町時代にも下総守護を世襲したが、15世紀半ばに古河公方と上杉氏の対立に巻き込まれて勢力を失った。上杉方に立った一族は武蔵に移る。公方派は佐倉に本拠を移し、子孫は戦国期には小田原北条氏に属し、千葉介の伝統的権威をっ持った下総国内の諸勢力の頂点に有ったが、天正18年(1590)北条氏と共に滅びた。