「高僧名僧伝・叡尊」アマゾン電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電子
叡尊(1201年~1290年)鎌倉時代の律宗の僧。西大寺の中公開山。興正菩薩ともいう。字は思円房。興福寺の学侶慶玄の子として大和国に生まれる。母は藤原氏。1207年(承元元)7歳で母を失って、醍醐寺門前の巫女の養子になり、その縁で醍醐寺に入って1217年(建保5)17歳で醍醐寺恵操を師として出家した。以後、醍醐寺・金剛峯寺・東大寺などで真言密教を学ぶが1234年(文暦元)真言密教の行者が多く魔道に堕ちてゆくのを見て疑問を抱き、その理由は戒律を守っていないことと結論して、戒律の復興を志すに至った。1236年(嘉禎2)9月覚盛・円晴・有巌とともに東大寺法華堂で自聖自戒をし、好夢を感じて比丘となった。大和海竜王寺を経て、西大寺に住み、1238年(暦仁元)以降そこを拠点として戒律の普及に努めるとともに、社会体制の外部に排除・疎外された非人救済運動も展開した。彼の非人救済は非人を文殊菩薩の化身としてみなし非人施行を行うもので、その最大の行事が1269年(文永6)3月に奈良坂中腹にある般若寺の文殊菩薩像の完成を記念し、非人一人一人に斎戒を受けるとともに、米などの食糧や浅鍋などの乞食の道具が施行された。1262年(弘長2)には鎌倉幕府の北条時頼の招きで鎌倉に下向した。蒙古襲来を契機として、聖朝安穏のため、伊勢神宮や石清水八幡宮に詣でて異国降伏の祈祷も行った。1286年(弘安9)に宇治川の網代破却によって殺生禁断を実行することを条件として、宇治橋を再興するなど、勧進・修造活動に活躍した。著書には自叙伝「感心学正記」や「梵網経古述記輔行文集」などがる。