「歴史の回想」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

「高僧名僧伝・覚鑁」アマゾン・グーグル・楽天・電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電子」

2020-05-30 05:56:59 | 投稿済C


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覚鑁(1095年~1148年)平安後期の僧。真義真言宗の祖。祖号は正覚房。覚鑁上人、密巌尊者ともいう。肥前国藤津荘の伊佐氏の出身。1110年(永久元)仁和寺で出家し、1114年(永久2)東大寺で受戒。1121年(保安2)仁和寺成就院で寛助から伝法灌頂を受けた。真言教学振興のために高野山伝法の再興を発願し、紀伊国石手荘などの施入を受けて、鳥羽院の支援の下、1132年(長承元)に高野山に大伝法院・密厳院を落成。さらに密教諸流の遍学を志し、院の保護もあって園城寺の覚猶、醍醐寺の定海、勸修寺の覚信らから受法し、鳥羽宝蔵の秘書を閲覧。1134年に院宣により金剛峯滋座主となり、高野山一山を支配し。しかし大伝法院を中心とする高野山の再編は、金剛峯寺・東寺・醍醐寺の反発を招いたたため、1135年(保延元)密厳院に蟄居して無言行に入り座主を辞任。1140年の武力衝突で密厳院が襲撃されたために、根来山に逃れ、そこに円明寺を創建して没した。門弟はその後も金剛峯寺と和議・衝突を繰り返したが、1288年(正応元)の紛争で完全に決別し、ここに覚鑁の系統を真義真言宗とする。1540年(天文9)自性大師の勅諡号を与えらえたが、延暦寺の反対で撤回。1690年(元禄3)に興教大師号を与えらえた。覚鑁は密教を総合した伝法院流を開き、その著「五輪九字明秘釈」では大日如来と阿弥陀如来が同体なることを論じて浄土教を真言密教取り入れた。