森の中の恍惚

野山が笛を吹いている

When words leave off music begins.


金鑚神社例大祭 本庄まつり 2013

2013年11月03日 | 空色の休日 2013 

毎年11月2日・3日に行われる本庄市「金鑚神社」の例大祭「本庄まつり」に三手鼓。


12時よりの「神幸祭」を前に、各町の山車が金鑚神社に集まっています。


神社では渡御の準備が行われています。


神楽殿で「里神楽」の奉納。


金鑚神社の御祭神の御霊代が神輿に移されます。


そして、渡御に向かいます。


まずは、宮司さんの挨拶。


正午の花火とともに神幸祭巡行が始まりました。


先導役は猿田彦命。


そして、山車が続きます。先頭は諏訪町(すわちょう)


南本町(みなみもとまち)


台町(だいまち)


本町(もとまち)


仲町(なかまち)


七軒町(しちけんちょう)


照若町(てるわかちょう)


上町(かみまち)


泉町(いずみちょう)


宮本町(みやもとちょう)


宮本町 供車(みやもとちょう ともぐるま)


旧中山道を進みます。


本庄宿の複雑に入り組んだ路地を巧みに抜けて行きます。


本町の会所に神社神輿が来ていました。


中山道交差点にかけて全町の山車が集まりました。


それでは、「本庄まつり」の山車と三手鼓を味わいながら帰ることとしましょう。
先頭は、諏訪町「太田道灌(おおたどうかん)」 。


南本町「連獅子(れんじし)」
台町「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」
本町「石橋(しゃっきょう)」


仲町「神武天皇(じんむてんのう)」
七軒町「加藤清正(かとうきよまさ)」
照若町「桃太郎(ももたろう)」


上町「神功皇后(じんぐうこうごう)」
泉町「武内宿禰(たけのうちのすくね)」
宮本町「日本武尊(やまとたけるのみこと)」


『打ち揃う 山車に囃子の 本庄祭り』

>森の中の恍惚:総鎮守 金鑚神社の 神迎え


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

深谷市産業祭 2013 初日

2013年11月02日 | 空色の休日 2013 

1年ぶりに、今年は「深谷市産業祭」。残念ながらあのゴージャスなシャトルバスは無くなってしまったので、自力(?)で会場付近の駐車場まで‥‥。でも、思わずすんなり停められたんで、まずはふっかちゃんに御挨拶です。


祭典本部前のエリアで行われている「深谷農業博覧会」で深谷市の新兵器、ラッピングトラック「ふっカーゴ」を発見!


そして、恒例となった「N-1グランプリ2013」。


深谷市が誇る「煮ぼうとう」優勢の中、6団体が「優勝おかもち」を競います!


「鬼釜(おにかま)」株式会社 花山うどん


「富士桜ポーク入りカレーほうとう」どん屋 丼蔵

「南魚沼名物! きのこたっぷり きのこそば」六日町観光協会
「佐野らーめん」佐野らーめん会
「武州煮ぼうとう」武州煮ぼうとう研究会
「チーム深小[絆]煮ぼうとう」深谷小学校


残念ながら「インカのめぐみ」の出店はございませんでした‥‥。


駅通り中山道交差点では「深谷スーパーカーチャリティドリーム2013」というスーパーカーの展示が開催されていました。


何と!噂のパガーニ・ゾンダが来てる。


ランボルギーニが多いですね。ムルシエラゴ。


おおっ!360スパイダー。美しい‥‥。


と、この興奮をふっかちゃんに感謝して‥‥また来年。

:11:00頃の着で、深谷市役所は満車状態。深谷小学校は結構余裕で停めることができました。「ふかや花フェスタ」の時よりは混雑少ない感じです。ここです→ ブログ人マップ

:深谷市産業祭は、本日(2日)と明日(3日)の開催となりますが、「深谷スーパーカーチャリティドリーム2013」等の一部のイベントは本日(2日)限りとなっています。

>フカペディア:深谷のオンライン百科事典

>森の中の恍惚:深谷市産業祭 2011



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実野里フェイバリットガーデン 秋の感謝祭

2013年10月27日 | 空色の休日 2013 

久喜市菖蒲町の「実野里フェイバリットガーデン」さんで秋の感謝祭!‥‥なので、行ってきました。


だって嬉しい10%OFFセール。グリーンハウスにはハロウィン雑貨も並んでいます。


台風一過の秋空がイングリッシュガーデンに映えてますね。


残念ながら感謝祭イベントには間に合いませんでしたが、秋苗いろいろ買ってきました。

:ここです→ ブログ人マップ

>森の中の恍惚:実野里フェイバリットガーデン



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菖蒲神社 再び

2013年10月27日 | 空色の休日 2013 

久しぶりの久喜(旧菖蒲町)なので、「菖蒲神社」に参拝。


拝殿に由緒書きが置いてありました。こういうのって嬉しいですね。
菖 蒲 神 社
当杜は、元は袋田明神社と号していた。『風土記稿』菖蒲町の項には「袋田明神社 祭神は稲田姫命と去う。神体銅鏡にて本地薬師の像を彫れり、裏に「寛文9年(1669)と見ゆ、合殿に鷲宮・久伊豆の両社を置り、吉祥院持、末社稲荷天神合社 雷電 大黒天金毘羅秋葉聖徳太子合社」と記されている。
当社の鎮座地は、菖蒲城主佐々木氏の陣屋跡と伝えられる地のすぐ南西に位置しており、佐々木氏により中世末期に創建されたものと推測される。
当社の大元となった袋田明神社の社名は、近在の鷲宮神社(武夷鳥命)、玉敷神社(大己貴命)のお袋(母親)が稲田姫であることに由来すると伝えられている。また、見沼代用水の開削以前に旧河川のこの辺りを袋状に流れ、一面に田が広がっている所に坐す神に由来するとも考えられるが、明らかではない。



御朱印をいただきました。

>森の中の恍惚:菖蒲神社


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川越まつり 2013 初日

2013年10月19日 | 空色の休日 2013 

さあ、2013年の「川越まつり」です。今年は「神幸祭」に合わせて初日の昼に行ってきました。なので、露店はまだ準備中が多いですね。とりあえず札の辻を目指します。


いつものように「蓮馨寺(れんけいじ)」に寄り道。やはり今年も「お化け屋敷」だけとなっていました。Forever....小雪太夫。


「お化け屋敷」がんばれ!


お昼は「焼きそば」と「牛もつ煮」のお祭りセット。


お祭りスイーツ「スティックワッフル」発見!


‥‥と。、いろいろやっているうちに(?)そろそろ札の辻です。


そして、太鼓の音とともに神幸祭巡行行列がやって来ました。


先導役の猿田彦命。この後、赤獅子・青獅子~彦神・姫神神輿~神馬~氷川神社宮司~斎姫輿。そして、各町の山車が続きます。「川越氷川祭礼絵巻」その物ですね。


市役所前の山車揃い。幸町(翁)・末広町(高砂)・松江町一丁目(龍神)・大手町(天鈿女命)・川越市(猩猩)の五台。


さあ、山車です。脇田町「徳川家康の山車」、新富町二丁目「鏡獅子の山車」


連雀町「道灌の山車」、幸町「翁の山車」


志多町「弁慶の山車」、喜多町「俵藤太秀郷の山車」


宮下町「日本武尊の山車」、元町一丁目「牛若丸の山車」


‥‥では、また来年。

>森の中の恍惚:川越まつり 2012 宵山
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪塚稲荷神社

2013年10月19日 | 空色の休日 2013 

小江戸川越「蔵造りの町並み」のほぼ真ん中、NHK朝の連続テレビ小説「つばさ」に「甘玉堂」として出演した「陶舗やまわ」さんの路地を入ると、正面に「曹洞宗冷月山長喜院(れいげつざん ちょうきいん)」の山門。その隣に寄り添うように鎮座する「雪塚稲荷神社」に参拝。(←長い


鳥居を抜け、直角に曲がると社殿となる。


雪塚稲荷略縁起
 当社は、城下町川越の十ヶ町の一つ、南町の氏神として崇拝されてきた。南町は、江戸から明治にかけて六十軒あまりの町であったが、江戸店を構える大商人を多く生み出し、明治十一年(一八七八)には県下初の国立銀行を開業させるなど、十ヶ町の中でも中心的商業地であった。
 神社の創始は、口碑に「江戸の昔、ある大雪の夜、南町の通りに一匹の白狐が迷いあらわれた。これを見た若い衆数人が白狐を追い回してついに打ち殺し、挙句の果てにその肉を食したところたちまち熱病にかかり、さらに毎夜大きな火の玉が街に現われるようになった。町内の者はこれを白狐の祟りだとして恐れおののき、近くの長喜院の境内に社をたて、白狐の皮とと骨を埋めて塚を築き、雪の日のできごとであったことにちなんで、雪塚稲荷神社と名付けて奉斎した」という。
 明治二十六年の川越大火によって、本殿、拝殿焼失、同三十年四月二十八日に再営した。その際土中のご神体を改めたところ、白狐の毛が逆立つのを認め驚いて再び埋納したという。
 また、昭和五十五年社殿の修理中、床下中央部から石板が発見され、「雪塚稲荷神社遺躰文政六年二月十二日御霊昇天 同年三月十二日御霊祭日と定め同年同日雪塚稲荷神社と称す」との銘文があった。
 文政六年(一八二三)以来、とくに商売繁盛に霊験あらたかさをもって知られ、町内のみならず、遠隔地の講中や近隣末社の人々の不断の信仰に支えられてきた神社である。


お隣の曹洞宗冷月山長喜院(れいげつざん ちょうきいん)。九曜紋ですね。


ガンダーラ仏教美術の傑作と評される、パキスタン「ラホール美術館蔵」所蔵の「釈迦苦行像(断食する仏陀像)」の原寸大レプリカ像という。

:雪塚稲荷の白狐は、東松山市の箭弓さまのお使いで王子の稲荷さまのところに行く途中だったといわれています。埼京線でしょか?

:ここです→ ブログ人マップ


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

比企☆みっつ DE スイーツフェア in 森林公園

2013年10月14日 | 空色の休日 2013 

「武蔵丘陵森林公園」恒例の無料開園日となった今年の体育の日。中央口広場では比企の特産スイーツが集合した「比企 ☆みっつ DE スイーツフェア in 森林公園」のイベントが同時開催!‥‥ではではと、混雑覚悟で出かけてみました。
夢菓子工房ププリエ(東松山市)
 焼き菓子、ケーキ
3et corne bakeshop(東松山市)
 焼き菓子
大東文化大学(東松山市)
 豆乳きなこクリーム&豆乳入りホイップクリームパン、ロールちゃん
たこえもん(滑川町)
 滑川りんごのタルト
滑川ひまわり会(滑川町)
 森林まんじゅう
セイメイファーム(嵐山町)
 嵐山プリン、焼きかぼちゃプリン
帝松直売店(小川町)
 大吟醸ソフトアイス
焼菓子のお店 ボナペティ(川島町)
 いちじくのカップケーキ、醤油プリン他
かわじま工房(川島町)
 草もち、おまんじゅう
吉見町商工会(吉見町)
 いちごタルト、いちごミルクまん
ブロンジェリー風の杜(吉見町)
 ビスコッティ(洋菓子)
Happy Time(吉見町)
 こいいちご
吉見総合運動公園(吉見町)
 つぶつぶいちごのベジタブルスムージー、いちごドーナツ
花むすび(鳩山町)
 はとやま森のダックワーズ(洋菓子)
とうふ工房わたなべ(ときがわ町)
 とうふシフォン、おからドーナツ、豆乳プリン
ベテランクラブ(ときがわ町)
 団子、まんじゅう
比企がたり本舗前澤屋(ときがわ町)
 星空のむこう(和菓子)
小松屋本店(東秩父村)
 つる(和菓子)
結構いろいろとあるもんですね。お馴染みの物もあったりして‥‥。さて、何処からいただいたらよろしいでしょうか?


‥‥十月桜は何も答えてはくれなかった。

>森の中の恍惚:武蔵丘陵森林公園 春薫るガーデン展 2013


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ザ・トレジャーガーデン 秋のローズ&ブリリアントガーデンフェスタ 2013

2013年10月13日 | 空色の休日 2013 

気がつくと、すっかり秋っぽくなった10月のザ・トレジャーガーデン館林は「秋のローズ&ブリリアントガーデンフェスタ」。


春には色鮮やかとなる「芝桜ガーデン」と秋の空。この三連休はお天気に恵まれましたね。


ローズガーデンは秋バラが花盛り。


青のガーデン入口では「キバナコスモスの摘み取りイベント」。


たくさん摘ませていただきました。


この日、レストランが貸切となっていましたが、結婚式が行われたようです。秋の佳き日ですね。

: 「秋のローズ&ブリリアントガーデンフェスタ」は11月17日(日)までの開催。「キバナコスモスの摘み取りイベント」は残念ながら14日(月)で終了しました。婚礼等でレストランが貸切となると、お食事はフードテラスとなりますのでお出かけ前に「ザ・トレジャーガーデン twitter(@TREASURE_G_T)」等で確認ください。

>森の中の恍惚:ザ・トレジャーガーデン 芝桜フェスタ 2013



‥‥なので?、お昼は中国料理「桃林」さんで中華ランチ。豚肉とピーマン炒めでいただきました。


‥‥なので、何故か?ボウリングを1ゲーム。

:ここです→ ブログ人マップ


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八十八ヶ所巡礼?

2013年09月14日 | 空色の休日 2013 

比企郡吉見町の誇る国指定史跡「吉見百穴(よしみひゃくあな)」の南西、武蔵国松山城の搦手切通しを背して建つ懸造りの仏堂「岩室観音堂」がある。

岩室観音について
一、縁起
武州比企郡岩室山の正観世音は、その昔、嗟峨天皇の御宇・弘法大師が諸国を遊歴しこの地に至り、岩窟を選び三味に入り、観世音の尊像を彫刻しこの岩窟に納め、岩によりて殿をかまえ岩室山と号し多くの人を血縁せしめました。
天正の終わり頃、太閤秀吉関東に出馬したとき、石田三成の士卆によって松山城が灰燼となり、 その餘焔大殿にかかり党宇残らず消失しても、尊像だけが不思議にも岩窟内に無事おわしました。
その後、龍性院中興第三世・尭音法師が師命を受けて遠近を駆け巡って檀信徒の助力を募つて、寛文年中に現在のお堂を造営したと伝えられています。
二、お堂
この建物、懸造りと称して、有名な京都清水寺の観音堂と同様で、稀に見る貴重な建物です。
三、ご縁日は毎月十八日
災難除け、交通安全、商売繁昌、安産等あらたかな霊験は、広く知られています。
 岩室山龍性院


【懸造り(かけづくり)】山間あるいは川岸・海岸・池畔などで、一部分を斜面あるいは水面に張り出して建てること。また、その建物。掛け出し。崖(がけ)造り。(Resource:大辞林 app)
※さすがに右側には鉄骨での補強が入ってます。

岩室観音と石仏
 岩をうがって観音像をまつったところから岩室観音という。龍性院の境外仏堂である。
 この観音のはじまりは弘仁年中(八一〇~八二四年)といわれているが、たしかな記録は残っていない。
 松山城主が代々信仰し護持していたが、天正十八年(一五九〇年)松山城の攻防戦の際に兵火にあって当時のお堂は焼失してしまった。
 現在のお堂は、江戸時代の寛文年間(一六六一~一六七三年)に龍性院第三世堯音が近郷近在の信者の助力を得て再建したものである。お堂の造りは懸造り様式で、江戸時代のものとしては、めずしいものである。
 また、ここにある石仏は、四国八十八ヶ所弘法大師巡錫の霊地に建てられた寺々の本尊を模したもので、八十八体の仏像がまつってある。
 また、この石仏をおがめば、いながらにして四国八十八ヶ所を巡拝したのと同じ功徳があるとされている。
 平成十年三月 吉見町・埼玉県

四国八十八札所
こちら 一番から五十一番
むこう 五十二番から八十八番
四国八十八ケ所の霊場巡拝は、遍路の打ち振る鈴の音と、南無大師遍照金剛の称号と御詠歌の歌声でにぎわっています。

  病気が治った
  災難を免れた
  家庭が平和になった

一度遍路すればまた行きたくなるとは、経験者の偽らざる言葉です。
弘法大師が霊場を開き衛門三郎がこれを整えてから、七、八百年から千年たつ現在この信仰はますます盛んであります。然し乍ら四国まで出掛けるのは大変なことなのでここに四国霊場と同じ八十八ケ寺の如来、菩薩、明王、天がまつられています。
心を込めて参拝ください。
 岩室山龍性院


なので、八十八ヶ所巡礼........。「仏滅トリシュナー」YouTube


御本尊は2階に祀られていて、さすがにここは固くガードされています。
岩室観音
古城跡西北ノ麓岩室ニアリ 故ニ土人岩室観音ト号ス 正観音ナリ(別当寺柚沢村龍性院)
(Resource:「新篇武蔵国風土記稿」横見郡巻之二 根小屋村)


そして、崖続きのお隣には心霊スポットとしても知られている「岩窟ホテル」の遺跡(?)。「渇愛する」が止まらない........ね。

:ここです→ ブログ人マップ


【おまけ】
「吉見町願いごとの道」というパンフレットが置いてありました。
 岩室観音から吉見観音にかけての約3.5kmの道のりは昔から吉見観音にお参りするために往来する人々の巡礼路であったともいわれています。
?そのためにこの区間には昔から地元の人々や巡礼者に信仰され、願いごとに効くとされる縁起の良いお地蔵様や仏閣が数多くあります。
?近年、「願い事が叶うお寺」として人気の「吉見観音」参りにこの道を通るカップルも急増中。
?ハイキングがてら「願いごとの旅」を一度してみませんか?
 岩室観音:子育て・安産・願いごと全般
  
 龍性院・弁天様:金運上昇・諸芸上達・願いごと全般
  
 北向地蔵:開運・占い上達・願いごと全般
  
 八坂神社:厄除け・豊穣祈願・願いごと全般
  
 吉見観音:恋愛成就・合格祈願・健康祈願・願いごと全般

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東松山市 元宿の天神さま

2013年09月14日 | 空色の休日 2013 

国道407号東松山バイパスと市野川の交わる天神橋の北東に鎮座する元宿の天神さま「菅原神社」に参拝。


道路から低い位置に鳥居があり、社殿は小高い丘の上に建てられています。


以前はもっと樹木に囲まれていた記憶がありますが、だいぶすっきりしています。社殿前には狛犬ならぬ「狛牛」。
菅 原 神 社
 創建は、社伝によると応永年中(1394-1428)で、別当観音寺を開山した「忠良」なる者により行われたという。
 以来、観音寺は松山城下の元宿にあって、氏子たちや近在の村々の者に諸祈祷を修したといわれる。『風土記稿』によると、観音寺は京都聖護院末の本山派修験で、東照山竹林坊と号していた。慶長十四年(1609)には、横見・比企両郡のうち一派の年行事職を許され、横見郡大串村毘沙門堂や比企郡長谷村不動堂をも兼帯する有力修験であった。また、万治三年(1660)の失火までは、東照大権現改葬の祭、観音寺に御霊棺を安置した縁をもって建立した東照宮の御宮があったと伝えている。(Resource:「埼玉の神社」埼玉県神社庁)

御祭神 菅原道真
御由緒 当社の創立年暦は未詳なれども、別当観音寺の開山忠良が応永年中鎮祭せるものと伝えられる。(忠良は永享三年正月二十六日寂)観音寺は万治三年失火、惜しくも所蔵の古文書悉く鳥有に帰した。
 当社の鎮座地は、亀井庄に属し、松山領の本郷で、字を元宿分と言い、松山城下に宿並みをなし、小田原北条家「市の掟」を出した事からも、市の栄えた事がうかがわれる。
 松山城は、応永の頃扇ケ谷上杉家の家老上田左衛門の築城になるもので、別当観音寺も亦、其頃創建されたものと思われる。天正十八年落城後、町並は現松山市街地に移ってしまった。
(Resource:「比企郡字神社誌(昭和35年3月30日刊)」神社庁比企郡支部事務所)

:ここです→ Google マップ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする