When words leave off music begins.
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Vitali Chaconne [Arthur Grumiaux]
川島町は周囲を四つの川に囲まれた輪中地帯で豊かな穀倉地帯ですが、古くから水害が多く、堤防が重要とされてきました。江戸時代初期の寛永六(1629)年、県東部地域に流れていた荒川が、熊谷市久下で旧和田吉野川の流路(現在の荒川)に瀬替えされて以来、洪水の常襲地域になったため、さらに堤防を高めるようになりました。
その後、明治四十三(1910)年八月に発生した未曾有の大水害で川島町内各地で破堤し、川島全域が壊滅的な被害を受けました。中でも伊草、三保谷、出丸、八ツ保地区は全村床上まで浸水しました。その惨状に明治政府から見舞金が寄せられ、その見舞金で洪水時の救助・運搬用の水災予備舟を作った地域もありました。
記録では伊草村四艘、三保谷村十二艘、八ツ保村八艘の川船が建造されました。
戦後は、昭和二十二(1947)年のカスリーン台風以来、河川改修、排水機場が進み、大きな水害が発生していないこともあり、使われなかった川船はいつしか老朽化してしまいました。幸い八ツ保地区大字下八ツ林にある薬師堂では堂内に二艘大切に保存されておりました。二艘の内一艘は保存状態がよく使用可能であったため、この平成の森公園に展示して川島町の歴史を理解していただくことにしました。
昨今、各地で発生している水害に対し、私たちは郷土の災害を知り、備えを怠らない防災意識をさらに高めたいと思います。
平成二十八年三月 川島町