When words leave off music begins.
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Vitali Chaconne [Arthur Grumiaux]
下小坂の大ケヤキ
神社境内にある二本のケヤキは、社殿に向かって右側が赤欅といわれ幹周り六〇〇センチで高さ三三メートル、左側は青欅といわれ幹周り五九五センチで高さ二六メートルである。昭和四七年に指定を受けた時、樹齢五〇〇余年と推定され、下小坂のシンボルとうえよう。ケヤキは、斎槻と呼ばれ、神聖な木として尊ばれてきた。
昭和四十七年二月八日指定 川越市指定・天然記念物
当地は川越市の北部、入間川支流の小畔川左岸に位置し、坂戸市と境をなす。そのほとんどが低地であるが、一部段丘となりこの上には市の文化財となっている鏡・刀子・馬具などが発掘された下小坂古墳群がある。
当社は下小坂の東部に鎮座し、ここから西へ民家が広がっている。特に当社と並ぶ八軒は旧家で、八軒家と呼ばれている。
また、地区を貫く秩父・川越・江戸を結ぶ街道が、小畔川を渡る荊橋(とげばし)の辺りには、小坂の河岸と呼ばれる船着き場が明治八年まであったという。
(Resource:「埼玉の神社」埼玉県神社庁)
鉢形城の桜・エドヒガン
エドヒガンは、バラ科の落葉高木種で、花期が早く、関東地方で彼岸の頃に咲くことから、この名前がついた。
このエドヒガンは、二本の幹が一旦伐採され、その株元から十二本の芽が成長したもので、樹高十八メートル、枝張りは、東西二十三・五メートル、南北二十一・八メートル、全体の根回りは六・五メートルほどある。
枝は笠鉾状に広がり、見事な樹形を呈している。
なお、樹勢や聞き取り調査から、樹齢は百五十年ほどと推定される。
平成二十一年三月 寄居町教育委員会
襟帯山河好 (襟帯山河好し)
雄視関八州 (雄視す関八州)
古城跡空在 (古城の跡空しく在り)
一水尚東流 (一水尚ほ東流す)
鉢形城跡
鉢形城は、荒川に臨んだ絶壁上に位置し、 南には深沢川があって自然の要害をなしています。
文明8年(1476年)に長尾景春が築城し、その後上杉家の持城として栄えました。室町末期に至り、上杉家の家老で、この地方の豪族であった藤田康邦が、北条氏康の三男氏邦を鉢形城主に迎え入れ、小田原北条氏と提携して北武蔵から上野へかけての拠点としました。
城跡は、西南旧折原村を大手口とし、東の旧鉢形村を搦手としています。本丸、二の九、三の丸、秩父曲輪、諏訪曲輪等があり、西南部には侍屋敷や城下町の名前が伝えられており、寺院、神社があり、土塁、空掘が
残っています。
天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原攻めの際、前田利家、上杉景勝、本多忠勝、真田安房守らに四方から攻撃さ、三ヶ月の戦いの後、落城しました。
寄居町・埼玉県
諏訪神社
諏訪神社は、武州日尾城主(小鹿野町)諏訪部遠江守が鉢形城の家老となって出仕したとき、信州にある諏訪神社を守護氏神として分祀奉斎しました。
やがて天正18年(1590年)鉢形城の落城により、この近辺から北条氏の家臣たちが落ちていき、人々も少なくなりました。しかし城下の立原の人たちは鎮守様と崇敬し、館の跡を社地として今日の神社を造営した
ものです。
本殿は宝暦年間、その他の建造物は天保年間に造営されていて、年に三度の大祭を中心に、人々の心のよりところとなっています。
なんどかの台風にあいましたが、空掘御手洗池に深い面影を落としている欅の大木は、400年にわたる歴史の重みを静かに語りかけているようでもあります。
祭神は建御名方命、相殿に誉田別命が祀られています。これは明治42年萩和田の八万神社が合祀されたものです。
寄居町・埼玉県