When words leave off music begins.
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Vitali Chaconne [Arthur Grumiaux]
雷電様は、飛び地境内の雷電池にの傍らに祀られ、古くから雨乞いで著名である。この池は、昔は広く大きなもので、池の主である大蛇が棲んでいた。ところが寛永のころ干拓され池が小さくなり、大蛇は上州板倉の雷電池に引越してしまい、以来ここに祈っても雨が降らなくなってしまった。このため雨乞いの時には板倉の雷電社に祈ってお水をもらい、大蛇を作って池に入れて祈ると雨に恵まれたという。:ここです→ ブログ人マップ
(埼玉の神社>鶴ヶ島市脚折 白鬚神社)
なで桃のいわれ
古来、桃は中国においては不老長寿の果実として、また日本においても魔除けの果実として知られています。
それは古事記の中にある次の神話に由来しています。
伊邪那岐命が黄泉国(あの世)から黄泉醜女の悪鬼に追われ、逃げ還る途中、やっとの思いで葦原中国(この世)との境に辿り着いた時、坂の上に大きな桃の木を見つけました。伊邪那岐命は、その実を三つ取り、悪鬼らにめがけ投げつけました。すると遂に追手らは引き返し、難を逃れる事が出来ました。伊邪那岐命は桃の実に「あなたは私を助けてくれた神の実です。どうかこの世の全ての人が悩み苦しむ時も同様に助けて下さい。」と言って、意富加牟豆美命(おおかむづみのみこと)という名前をお与えになりました。
以来、桃の実は病難や厄災を退治してくれる象徴として尊重されるようになりました。
境内にお祀りした「なで桃」を願いを込めてお撫でになり、桃に宿る神力を頂ましょう。
(Resource:行田八幡神社)
近世初頭、忍城中にあった浅間神社を勧請してからは、浅間神社と称されるようになり、古墳上にある神社を「上(かみ)ノ宮」、中腹にある社を「下(しも)ノ宮」と呼んでいたが、明治の神仏分離に際して改称し、上の宮を前玉神社、下の宮を浅間神社とした。
一説に浅間信仰が普及してから、当社は、富士の行者が己の命の終わる時、当社にのみ雪を降らすと言い残し、その予言通り六月一日亡くなる日に雪が降り、これを奇異とした忍城主成田下総守氏長がこの地に塚を作り、浅間社を祀ったものといわれるようになった。
(Resource:「埼玉の神社」埼玉県神社庁)
四二〇〇坪の境内には、前述の浅間社のほか、嘉永年中別当職によって勧請された天神社・御嶽神社・事任神社と、明治四一年字富士山通・字稲荷通・字杉原通・字天神原・字諏訪通・字下埼玉通・字上埼玉通・字丸墓通・字宮前通にあった各社を合祀してできた明治神社がある。明治神社への合祀は二〇社に及び、合祀神は軻遇突智命(かぐつちのみこと)・保食命(うけもちのみこと)・菅原道真公・須佐之男命(すさのおのみこと)・奥津彦明(おきつひこのみこと)・奥津姫明(おきつひめのみこと)・火彦霊明(ほむすびのみこと)・武御名方命(たけみなかたのみこと)・天忍穂耳命(あめのおしほみみ)・天穂日命(あめほひのみこと)・天津彦根命(あまつひこねのみこと)・活津彦根命(いくつひこねのみこと)・熊野樟日命(くまぬふすびのみこと)・湍津姫命(みずつひめのみこと)・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)・大己貴命(おおなむちのみこと)の一六柱である。ただし小埼沼近くにあった宇賀神社だけは祟りの伝説から合祀を行わなかったという。
(Resource:「埼玉の神社」埼玉県神社庁)
氷川神社
所在地 北本市大字高尾字宮岡一〇七七番地
氷川神社の祭神は、素盞嗚尊(スサノヲノミコト=氷川さま)、市杵嶋姫命(イチキシマヒメミコト=弁天さま) 、大雷命(オホイカヅチノミコト=雷電さま) 、誉田別命(ホムダワケノミコト=八幡さま) 、大物主命(オホモノヌシノミコト=金比羅さま) 、菅原道真公(スガハラミチザネコウ=天神さま)である。
貞観十一年(八六九)十月十八日の創建とされ、高尾村、荒井村、北袋村、石戸宿村、下石戸上村他の鎮守としたと言う。また、境内には厳島神社も祭られている。
昔、御手洗川のほとりに御神木といわれた幹周り二丈五尺余(約八メートル)もある杉の大木があり、この杉より龍が昇天したと伝えられる。元禄十四年(一七〇一)十月二日の大風でこの御神木は根元より吹き倒されたため、これを惜しんだ氏子たちが、その跡を掘り上げて島を造り、社を建てたのが厳島神社の起こりと言われている。
厳島神社の御神体の尊像は、宝暦六年(一七五六)江戸神田新銀町中島久四郎という者が弁財天のおつげにより、この地を訪れ奉安したものといい、現在の石橋、石段もそのとき奉納したものといわれている。
明治以降は養蚕の守護神として参拝されるようになった。
なお、氷川神社の祭事は、春祭四月十八日、例祭七月十八日、秋祭十月十八日に行われている。
昭和六二年三月 埼玉県 北本市
須賀神社
所在地 北本市大字荒井
須賀神社は、天正年間(一五七三~一五九一)の勧請と伝えられ、「荒井の天王様」とも呼ばれている。
明治六年四月、荒井村村社に列せられ、大正年間には、村社の浅間社・橿城神社(きょうじょうじんじゃ)・神明社等を合祀しており、祭神は、素盞嗚尊(すさのうのみこと)の他・木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)・倉稲魂命等(うかのみたまのみこと)が祭られている。
祭事は、節分祭(二月三日)・夏祭(七月一四日~十六日)・冬至祭(十二月二二日)で、特に夏祭は、御輿・山車が出て盛大に行われる。
昭和六一年三月 埼玉県 北本市