森の中の恍惚

野山が笛を吹いている

When words leave off music begins.


ピーマンの通りで朝食を

2014年06月16日 | 空色の休日 2014 

6月の小淵沢、ちょっとひんやりとした八ヶ岳の空気を感じながらリゾナーレ・ピーマンの通り『丸山珈琲』で朝食をとる。


オレンジ色のボダム社のフレンチプレスで入れた『コスタリカ・エルサル・デ・サルセロ』の中煎とカプチーノに日替わりサンドはキッシュ。特製の『コーヒーロール』も欠かせない。・・・・そしてお早うの朝はくる。

>森の中の恍惚:北杜市へ行こう! 2014
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小作、ノスタルジィ

2014年06月15日 | 空色の休日 2014 

個人的には何故か?うどん類は不得意で、いままで寄らずにいたんだけれど、いろいろあって今回は「甲州ほうとう 小作」さん清里高原店。


店内はOLL座敷席で、ノスタルジィな雰囲気。


名物「熟瓜餺飩(かぼちゃほうとう)」の麦とろセットでガッツリいただきました。


うどん類は嫌いというわけじゃなく、食べるのが苦手(?)ってことで「甲州ほうとう」美味しくいただきました。次は「あずきほうとう」いってみよう!

ほうとうの由来  
「うまいもんだよカボチャのほうとう」とつぶやきながニコニコしている。何事か自分の思ったとおりに事が運んだときに、つい口をついて出る言葉(若い人はあまり言わないが・・・。)
米飯がほとんど食べられなかった甲州の庶民にとって、ほうとうは最上の日常食。しかもそれに甘いカボチャが入れば言うことなし。
「ほうとう」は「餺飥(はくたく)」の音便。
餺飥とは何か。食の部だけで475字もある大漢和辞典によると餺飥は「餅の類。うどん。・・・・」とある。
餺飥が禅僧の手により中国から日本にもたらされ、ほうとうやうどんになったものである。
ほうとうという形は武田信玄公が、野戦食として用い甲州独特のものであり甲州人の誇りの郷土料理である。

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ハイジの村 2014

2014年06月15日 | 空色の休日 2014 

この季節、青い空とバラいっぱいの「ハイジの村」に久しぶり。


バラ園の奥に遥か「甲斐駒ヶ岳」を望む。


ロードトレイン「ハイジ号」で園内1周回ってみました。後ろに望むは「地蔵岳」。


ラベンダー園はまだですね。


全長230m、1.000品種 5,000本のバラの回廊。


そして・・・・、八ヶ岳に??。

>森の中の恍惚:ハイジの村
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北杜市へ行こう! 2014

2014年06月15日 | 空色の休日 2014 

さあ!今年も北杜市へ行こう‥‥と、いつものように八王子JCT。今年は絶好の好天気!アクセル全開だぁぁぁぁ........。


中央道 双葉SAハーブ園


今回は、富士山がよく見える・・・・。


ハイジの村


ラベンダーはまだです。

>森の中の恍惚:森の中の恍惚: ハイジの村 2014


甲州ほうとう「小作」清里高原店


おなじみ「かぼちゃほうとう」麦とろ飯付でお昼。

>森の中の恍惚:小作、ノスタルジィ


ミヨシペレニアルガーデン




丸山珈琲 リゾナーレ店


『パパの日ブレンド』最終日にいただきました。

>森の中の恍惚:ピーマンの通りで朝食を・・・・


鳥居平やまびこ公園


摘み取りイベント『ドリームブルー』です。

>森の中の恍惚:鳥居平やまびこ公園 ラベンダーの摘取り 2014


花遊び




日野春ハーブガーデン


今年2月の大雪で直売所ハウスが倒壊してしまった日野春さんですが、ただいま仮設の直売所ハウスで営業されていました。

>森の中の恍惚:日野春ハーブガーデン 2014


白州花壇




山梨銘醸 七賢


【酒林(さかばやし)】杉の葉を束ねて球状にし、軒先にかけて酒屋の看板としたもの。杉玉。さかぼうき。酒旗(さかばた)。杉林。ほて。 〔奈良三輪山の大神(おおみわ)神社が酒の神とされ、杉が神木であることから〕 (Resource:大辞林 app)


金精軒


甲州街道台ヶ原宿を望む。


バラクラ フラワーショー


アリスと白うさぎに再会。

>森の中の恍惚:バラクラ・フラワーショー 2014


蓼科テディベア美術館


グッティー館長のバックショットで終わります。

>森の中の恍惚:蓼科テディベア美術館



:今年もがんばって北杜市周辺を回ってきました。ちょうどバラクラフラワーショーと日程があったのはラッキーでしたが、南八ヶ岳花の森公園のラベンダー摘みイベントにはちょっと早くて、コモンのラベを摘んでこられなかったのは残念でした。ただ、このブログ人も終わってしまうと思うと、何だか記事のアップもいつものように気が入りませんね・・・・。

>森の中の恍惚:北杜市へ行こう! 2013
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関間 神明神社

2014年06月04日 | 空色の休日 2014 

開発広がる東武東上線若葉駅西口の鶴ヶ島市と坂戸市の境、木立に囲まれた100mを超す参道を持つ「関間 神明神社」に参拝。

 当社は往古富士浅間神明合祀社と号し、別当を曹洞宗自保山福泉寺が務めたが、神仏分離により神明神社と改称し、その後は、明治九年から本山修験篠井村観音堂配下の八幡山正福院が復飾して姓を宮本と名乗って神職となり、三代に渡って祀職を務めている。
 元来お浅間様と称する小高い山の上(現千代田中学校付近)に鎮座していたが、昭和十五年、この地に軍用飛行場の建設が計画されたため、現在地に移転した。
 祀神は大日孁貴命(おおひるめむちのみこと)である。三間社である本殿にはそれぞれに幣束を祀るが、配祀二神については不明である。

(中略)

 もと当社は山に上に鎮座していた。この山は円周およそ二〇〇メートルの小高い土盛りで、社は富士向き(南西)に建ち、その周辺は樹木が生い茂り、あたかも富士山を思わせる景観を呈していたという。これは氏子の大変な労力の末造られたもので、ここから東北へおよそ五〇〇メートルの所にある「ヤダレ」と呼ぶ大きな池は盛り土に使われた土がここから運ばれたためできた池と伝える。
 昭和に入り、我が国が国際情勢の現状打破を企てる中、軍用飛行場建設がこの地に計画されたため、立ち退きを余儀なくされ、昭和一五年現在地に移転した。よって氏子の労力の結晶である信仰的象徴としての富士山は、非常時に名の下にいやおうなしに取り壊されてしまった。
 歴史的にみて、神仏分離に始まり、神社合祀、太平洋戦争及び戦後の混乱などにより古くから続いた多くの信仰及び行事が廃されてきたが、当地の例もその一つといえよう。
(Resource:「埼玉の神社」埼玉県神社庁)



今回は、たまたま裏から入ってしまったので‥‥、一の鳥居より参道入り口を望む。理由あって(?)入口からの景色は、いずれ。

:参道入り口には鳥居はありません。

:ここです→ Google マップ
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小川町 八和田神社

2014年06月01日 | 空色の休日 2014 

埼玉県道296号「菅谷寄居線」と11号「熊谷小川秩父線」の交わる『奈良梨』交差点のビミョ~な位置に一の鳥居を持つ、小川町奈良梨鎮守「八和田神社」に参拝。


一の鳥居を抜けると遥かに二の鳥居と社叢が見えてきます。

 奈良梨は、中世鎌倉から上信越に通じた鎌倉街道上道(かみつみち)が通った所で戦国期には伝馬宿駅として栄えた。氏子の鈴木家には天正十年(1582)十二月十九日付の「北条家伝馬掟」が残されている。
 当社は明治四十年に上横田・下横田・奈良梨・伊勢根・高谷の五つの大字内にあった一一社を奈良梨の諏訪神社に合祀し、当時の村名を採って社名を八和田神社と改めて成立した。
(Resource:「埼玉の神社」埼玉県神社庁)



では、参拝。


天神社、春日社


住吉社、厳島社


社殿脇には目通り5.67m、樹高30mの「逆さスギ」と呼ばれる御神木の大スギがあります。
 昔、信州諏訪の大祝諏訪小太郎頼水が、東国に下る折、「神木の刺さった所を住居にせよ」との氏神(諏訪神社)の託宣によって、神木の枝をちぎって東方に投げたところ、奈良梨に飛来して逆さに突き刺さり、そのまま根を下ろして成長したという。この大杉は水を呼ぶといわれ、奈良梨の耕地は余程の日照りが続いても田植えの水に困ることがないという言い伝えがあり、氏子の人たちの信仰を集めている。
 当地では「蛇はお諏訪様の使いである」との言い伝えがあり、特に白蛇を見ると吉兆であるといわれている。現に神木の割れ目から白蛇が顔を出した時には氏子中が大騒ぎになったという。また、当地の境内にある弁天池と普賢寺は堀でつながり、弁天池に棲む白蛇と普賢寺の本尊である普賢菩薩が夜な夜な行き来をするという興味深い伝説も残されている。
(Resource:「埼玉の神社」埼玉県神社庁)


:ここです→ Google マップ
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花園ローズガーデン

2014年06月01日 | 空色の休日 2014 

今年初の猛暑日となった6月初日の日曜日は、深谷市(旧・花園町)の「花園ローズガーデン」さんで・・・・バラいっぱい。


さすがこの時期はガッツリ咲いていますね。


:ここです→ Google マップ


そして、ちょうど通り道なので久しぶりに「B.B.Boo」さんに寄ってみました。


なので、お昼は「レストラン Cafe 床とこ」さん。もちろん、嵐珈琲は「床とこブレンド」でした。

: 詳しくは、深谷のオンライン百科事典「フカペディア」で。。。。。。

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かわじまバラまつり 2014

2014年05月25日 | 空色の休日 2014 

「日本一長いバラのトンネル」が定着した感のある、川島町「平成の森公園」のバラの小径。今日と昨日(05/24)の2日間、「かわじまバラまつり」が開催されました。


残念ながら最終日の午後とあって、イベント等は終わってしまっていましたが、バラはまだまだよく咲いています。


バラのラビリンスですね・・・・。


なので、お三時にガッツリと「すったて」をいただきました。

>森の中の恍惚:かわじまバラまつり 2013
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ポピー・ハッピースクエア 2014

2014年05月25日 | 空色の休日 2014 

こうのす花まつり 2014」も今日が最終日。ポピー・ハッピースクエア「ポピーまつり」の馬室荒川河川敷より、おなじみ「御成橋」を望む‥‥。


しかし・・・・、今年は有料の「つみとり会場(5本100円)」を除いて全面つみとり禁止となっています。


残念ながら昨年までの摘み取り自由箇所の設定も無くなってしまいました。


「ポピーまつり」は6月1日(日)までの開催。明日(5月25日)以降は全面摘み取り自由(無用)となるそうです。

>森の中の恍惚:こうのす花まつり 2014
>森の中の恍惚:吹上ポピーまつり 2014
>森の中の恍惚:こうのす花まつり 2013
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萩日吉神社

2014年05月18日 | 空色の休日 2014 

ときがわ町「さと山まつり」の臨時駐車場となった檜の木造の「萩ヶ丘小学校」からほど近く。3年に一度の流鏑馬神事で有名な『萩日吉神社』に参拝。


一の鳥居をくぐると、右に神木「児持杉」。正面の石段は「いろは四十八階段」となります。
 「山王様」の通称で親しまれている当社の祭神は、大山咋命、国常立尊、天忍穂耳尊、国狭槌尊、伊弉冉尊、瓊瓊杵尊、惶根尊の七柱である。境内には神木の児持杉や御神井もあり、古社然とした雰囲気が漂っている。ちなみに、児持杉は、樹齢約八〇〇年といわれる雌雄一対の大木で、源頼朝が植樹したという伝説があり、この杉を祈念する時は幼児が授かるといわれ、古くから近在の男女の信仰が厚い。
 鳥居をくぐった先にある石段は「いろは四十八階段」といい、文化文政のころ、松岡寛道が寺子屋を開き、読み書き算盤や武芸等の教授に当たった際、足で数えながらいろはの文字と数の勉強ができるように作ったもので、材料の石は伊豆から運んで来たものという。また、境内には寛道の業績を称えて創建された筆塚もある。
(Resource:「埼玉の神社」埼玉県神社庁)


「いろは四十八階段」を上りきると、木製の二の鳥居。まだ上ります。


拝殿が見えてきました。


両脇には、日吉さまの神使い「雌雄の猿神」


では、参拝。


流鏑馬だけでなく、1月と4月に奉奏される「神代神楽」も有名ですね。


「西平の天王様」でお馴染みの八坂神社はこちらです。


本殿の西隣には「御井社」「釣取社」そして「負櫃社・風神社・苞神社・金鑚大明神の合殿社」が並びます。


そして、御井社の足元には御神水が湧き出ています。


正面遥かに「慈光の山寺」を望む。........ 合掌。

 「平の山王様」「萩の山王様」と親しまれるこの萩日吉神社は、社伝によると欽明天皇六年(544)十二月に蘇我稲目(そがのいなめ)により創建されたと伝えられます。当初は、萩明神と称されましたが、平安時代初期に慈光寺一山鎮護のため、近江国(現滋賀県)比叡山麓にある坂本の日吉大社を勧請合祀して、萩日吉山王宮に改称したといわれています。源頼朝は文治五年(1189)六月、奥州の藤原泰衡追討に際し、慈光寺に戦勝祈願し、その宿願成就の後、慈光寺へ田畑千二百町歩を寄進しましたが、同時に当社へも御台北条政子の名により田畑一町七畝を寄進しています。以降社殿の造営が行われて別格の社となり、元禄十年(1697)以降は牧野家の崇敬が厚く、『風土記稿』には「山王社 村の鎮守なり」と記されています。明治元年(1868)の神仏分離令により、現在の神社名「萩日吉神社」となりました。
 当社の本殿は、村内神社の中では最大規模であり、堂々とした荘厳な建物です。そのほか境内には境内社の八坂神社や神楽殿などがありますが、これらの建物を包み込むように広がる社叢は、平成三年三月に県指定天然記念物に指定されています。神社入口には御神木の児持杉もあり、この杉に祈願すれば子供が授かるといわれ、近郷近在の人々より厚く信仰されています。また、当社の使いである猿にちなみ、戦前まで流鏑馬(やぶさめ)祭りの日に「納め猿」という木彫りの猿像を神社の参道で売っていましたが、この納め猿とともに渡す縫い針も病気の治癒に効能ありと言われていました。現在、一月の例大祭の日に本殿において「納め猿」のみが有償で求められます。
平成17年3月 都幾川村教育委員会

>森の中の恍惚:ときがわ町 さと山まつり
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