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田舎ぐらし(63)

ー 事務室にいるシイタケ ー


  事務室の隅に立てかけておいたクヌギの木。
ある日、その幹に薄茶色した小さい饅頭みたいなかたまりがポコっとついているのを見つけた。「シイタケだ!」家内が大きな声を出した。

 次の日から、事務室の隅を覗くのが日課になった。シイタケはみるみる大きくなり、1週間もしないうちにお茶碗ほどの大きさに成長した。

 わが家では初めての収穫である。それも原木から生まれたシイタケ。今まで食べていた菌床栽培のものに比べると歯応えが格段に違うらしい。らしいと書いたのは家内がそう言っていたから。私はそういう点、鈍である。
 歯応えはともかく、成長するものを見るのは気分がいい。

ここで身中の “ 良い子虫 ” が目を覚ました。そしてこう言った。「お前は成長しているか?」。

 以前は「曲がりなりにも定年を迎えることができて、年金ももらっているんだから、後はのんびりやっていいんじゃないか」と自分に言い聞かせていた。
 しかし、どうも落ち着かない。あまりのんびりしていると、ボケるんじゃないかという心配もある。年金だって真綿で首、じわじわ減っていきそうな気がする。

 メーカーを定年退職した仲間が集まって、新しい会社をつくり、うまくやってるなどというニュースなどはとりわけ気になる。
 
 前に、サイクリック人生について書いたことがある(田舎ぐらし(42))。勉強し直して、もう一度稼ごうという話である。勉強先はどこだっていい。大学は大抵どこでも公開講座を持っているし、県庁で輸出のセミナーが開催されることもある。私も何度か覗いたことがある。行ってよかったと思う。独学で語学をやるのもいい。

 「そうはいっても、勉強したところで使い道がない」などと、やらない理由を並べ立てそうな気がする。そうすると “ 良い子虫 ” は言う。「あと30年生きたらどうするんだ?」 

 それもそうだ。人生100年、生きているうちに向こうから思わぬチャンスがやって来ないとも限らない。チャンスが来てから勉強では遅すぎる。自戒である。自戒ばかりで時が経っている。

(次回は ー マイホーム主義は悲惨か ー)


 

 

 

 

 

 定年になつて、一日の全部を自分の好きに使うことができるようになって、もしかしたらもう30年生きてしまったらと思いを巡らす。


 
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