ー 結婚しないワケ ー
AAK Nature Watch 太田 裕 動画より
以前テレビで、体の黒い鳥がもう一羽の鳥の前で翼を広げたり閉じたりして、ダンスを踊っているシーンを観た。踊っているのはオスで、前にいるのはメス。オスは実に熱心である。延々とやっている。
求愛の仕草だそうである。今でも時折そういうシーンが出る。
そういう時、私は箸をとめて「やめとけ」とひとり言をいう。続けて「まだ修業が足りないからああいうことをやるんだ」とつぶやく。そばで家内がクスリと笑う。
オスでもメスでもダンスを踊るのはかまわないが、ひとつ問題がある。それは今自分の前にいるメス、あるいはオスでもいいが、先々自分に幸せをもたらすいい鳥なのか、それとも静かな生活をかき回す悪い鳥なのかわからないことである。先は混とん、10年先どころか3年先さえわからない。
何年か先の巣の様子を画像に写してみることができたら、ことは簡単だが待てど暮らせどそういう機械は出現しない。
人間、いや、やはり鳥にしよう。
鳥には2種類ある。どうせメスあるいはオスなんてこんなもんだと悪態を山と重ねてつがいになんかならないというタイプと、先のことなんかわかりっこない、今決めるしかないと、相手が一瞬見せた涙や笑顔に迂闊にも正常な判断力を喪失し術中にはまるタイプである。
映画、「マイフェアレディ」に登場するヒギンズ教授は前者である。結婚しないワケを延々と並べる。たとえば、「私は静かな男。夜は独り部屋で過ごし・・思索に沈む。だが女が入り込めば安息よさらば、ひきもきらぬ女の訪問客。その殺人的かしましさ・・・」といった具合(台詞は深沢三子氏の日本語字幕より)。
もし、鳥のほとんどが前者を選択したら、種は早晩途絶えてしまう。途絶えないのは後者を選択する鳥が多いからである。これを見た皮肉屋は言う。“ 結婚のしかるべき基盤は、相互の誤解ということだ ” (オスカー・ワイルド 「英語 ジョークの教科書」 丸山孝男 大修館書店)
(次回は ー 賞味期限 ー )