第二次大戦後に、日本に来られたダビデ・マーチン先生は、
日本各地、教会のない場所で、開拓伝道を続けられた。
最後は、石川県の鯖江市、今まで一度も、教会が建っていない
ところで開拓伝道をして、最近、会堂を献堂し、人々が集っている。
鳩山のぞみ教会最年長の染谷さんは、そのマーチン先生に
導かれた初穂で、証し者として伝道旅行を共にしたことも
ある。
今年、心臓の病で、召されたマーチン先生の書を、
親しくさせていただいている、高橋敏夫先生の茶室で
拝見し、私が感動をしていたら、貸してくださった。
さっそく、染谷さんのお宅を訪問しました。

高橋敏夫先生が、マーチン先生に書を一つと
頼んだところ、自分は習字で書いた事はないと
お断りしたそうです。
すると高橋先生は、じゃあ、なおさら一つ
書かなくてはいけないでしょうと、熱心に勧めたそうです。
そして、書いたものは、
「心」の一字。
名前は、日本風に苗字が前で、マーチン・ダビデ
心ですよ。
キリストの心を心とせよというみ言葉を思い起こさせます。
高橋先生は、こう解説される。
この心はね、スピリットだ。宣教師スピリットだ。
キリストの心を伝えたいという、宣教スピリットなんだよ。
日本各地、教会のない場所で、開拓伝道を続けられた。
最後は、石川県の鯖江市、今まで一度も、教会が建っていない
ところで開拓伝道をして、最近、会堂を献堂し、人々が集っている。
鳩山のぞみ教会最年長の染谷さんは、そのマーチン先生に
導かれた初穂で、証し者として伝道旅行を共にしたことも
ある。
今年、心臓の病で、召されたマーチン先生の書を、
親しくさせていただいている、高橋敏夫先生の茶室で
拝見し、私が感動をしていたら、貸してくださった。
さっそく、染谷さんのお宅を訪問しました。

高橋敏夫先生が、マーチン先生に書を一つと
頼んだところ、自分は習字で書いた事はないと
お断りしたそうです。
すると高橋先生は、じゃあ、なおさら一つ
書かなくてはいけないでしょうと、熱心に勧めたそうです。
そして、書いたものは、
「心」の一字。
名前は、日本風に苗字が前で、マーチン・ダビデ
心ですよ。
キリストの心を心とせよというみ言葉を思い起こさせます。
高橋先生は、こう解説される。
この心はね、スピリットだ。宣教師スピリットだ。
キリストの心を伝えたいという、宣教スピリットなんだよ。