ここ、しばらく「豚」に振り回された全世界。
しかし、少し落ち着いてきた感じ
静かな生活に戻りたいと、全国民(全世界)が思っている。
庭に咲いていた「十字草」、昨夜の雨で生き返ったように咲いていた。
早速カメラを持ち出した・・今年も梅雨がやって来たな~毎年忘れもせず・・
でも、この梅雨は日本列島に農耕民族を誕生させ、発展して来た。
農耕民族が良かったのか、悪かったのかは別として、島国として生きてきた。
何て暢気な事を書こうとしていたら、北鮮が二回目
の「核実験」
物騒な話が飛び込んできた。
没後80年 岸田劉生 肖像画をこえて展[09・5・21]
(新宿・損保ジャパン東郷青児美術館=09・4・25~7・5)
岸田劉生(1891-1929)は、ゴッホやセザンヌらの感化を受けて
自己表現としての絵画を目指した。
しかし、じきに古典的な写実に変わり、風景、生物、肖像に多くの作品を残した。
特に愛娘・麗子を繰り返し描いた劉生は、画家にとって人間の顔程興味深い
物はないと語っている。
この展覧会は自画像と肖像画だけを約80点集めている。(カタログから抜粋)
①損保ジャパンビル(裾広がりのビルで建った当時は実に斬新な
デザインだった)
②ビル庭の看板
③チケット(左)と絵葉書(左側の麗子像は私の最も好きな麗子・5歳)
(新宿・損保ジャパン東郷青児美術館=09・4・25~7・5)
岸田劉生(1891-1929)は、ゴッホやセザンヌらの感化を受けて
自己表現としての絵画を目指した。
しかし、じきに古典的な写実に変わり、風景、生物、肖像に多くの作品を残した。
特に愛娘・麗子を繰り返し描いた劉生は、画家にとって人間の顔程興味深い
物はないと語っている。
この展覧会は自画像と肖像画だけを約80点集めている。(カタログから抜粋)
①損保ジャパンビル(裾広がりのビルで建った当時は実に斬新な
デザインだった)
②ビル庭の看板
③チケット(左)と絵葉書(左側の麗子像は私の最も好きな麗子・5歳)
追悼103歳 片岡球子展を見てきた[09・5・20]
(日本橋高島屋・5月20日~6月1日)
*文化勲章受賞の日本画家、院展を中心に独創的で奔放な作品を発表し続け
現代日本画壇に大きな足跡を残して103歳で亡くなった。
①チケットと「富士に献花」 ②「面構 葛飾北斎」
1990/85歳 1971/66歳