第二京阪の工事中に発見された旧日本陸軍の戦闘機の一部が
展示されています。
私が利用している総合体育館の片隅に・・・
水冷式側立60°V型 12気筒
排気量 33.9L
出力 1,100HP
重量 640kg
三式戦闘機 飛燕(ひえん)に搭載されていた発動機だそうです。
鋳鉄のスリーブをアルミ製シリンダーブロックにインサート。
現代の自動車のエンジンと同じです。
さすがに溶射ではなくスリーブです。
川崎 三式戦闘機1型丙「飛燕」(キ61-1)[旧日本陸軍]
メッサ一シュミットBfl09のエンジンDB601を輸入・ライセンス生産し、第2次大戦中の日本機には珍しい液冷エンジン搭載となった戦闘機。
液冷エンジンは正面面積が小さく空気抵抗を減少できるので、高速性追求には適していたが、飛燕もこの特徴を生かすために徹底的な抵抗減少と軽量化を実施。冷却器を主翼後方の眼体下面に半分埋め込むなど苦心の設計がフォルムの特徴になっている。
速度、格闘性能、安定性など申し分なく、Bfl09Eとの比較テストでも勝ったが、エンジンの不調と生産遅延に泣かされた。当時の日本の工業力は、精密なドイツ製エンジンを大量生産する域までは達していなかった。
以上、いろいろ調べてみました。
資料を漠然と眺めているだけではなかなか伝わってこないのですが
当然、この機を操縦されていた方がおられたわけです。
当時、二十三歳の若者です。
↑ この記事を読むと当時の悲惨さ、異常な感覚に恐ろしさを感じずにはおれません。
この前読んだ「永遠の0」という本を思いましました。
当時の日本軍の人命軽視の姿勢には、資料を見るたびに恐ろしさを感じます。
当たり前のことを主張するだけで罰せられる。
恐ろしいです。
戦後の我々はこの戦争のことを知らなすぎるかも、本当のことを教えてももらってない気がします。
真実を知り、正しい歴史認識を持って伝えて行くことは戦後生まれの我々にとっても重大な使命では無いでしょうか。
実体験された方はご高齢に。
フクシマの放射能汚染の件でも、当初の政府の発表とはかなりかけ離れている現実を考えた時、
当時の発表、情報などはなおさらかけ離れたもの。
真実はもはや誰にも分からなくなっている気がしてしまいます。