第1回 吉野せい(福島県いわき市出身)
吉野せい作品集「洟をたらした神」読了
と言いたいのだけど、まだ、もうちょっと。
マイペースにゆっくり読み進め、明日中には読み切りたい
今日の時点で、あと40ページほど
一回目の講座前、夫が涙したという「梨花」を朗読してもらった。
吉野せい作品集「洟をたらした神」16作品中の一作品
聞きながら泣いて泣いて、
受講中も泣いて泣いて、
終了後に館長とのお話し中も泣いて泣いて、
この日は泣き専門家かのように、泣きっぱなしだった。
第2回 斎藤茂吉(山形県上山市出身)
参加した夫が録音してくれた館長の音声とレジメで、本日おうち受講。
・・・緑色部分はレジメからの引用・・・
『東北知の鉱脈』連載27 斎藤茂吉/極楽を携えた歌の人 著:赤坂憲雄
好きな短歌はなにかと問われて、
とっさに、斎藤茂吉の「死にたまふ母」のなかの一首をあげたことがあった。
という、福島県立博物館 館長の赤坂憲雄氏のエピソードから始まる。
茂吉は、「くれなゐの茂吉」と呼ばれたほどに、
『茂吉の赤色嗜好は強く、その作中には多く用いられ、作品に精彩を与えるものとなっている』
(新潮日本文学アルバム『斎藤茂吉』)。
「死にたまふ母」の一首から、
"のど赤き”玄鳥(つばくらめ(ツバメ))、
「地獄極楽図」の十一首からは、
もろもろは裸になれと衣剥ぐひとりの婆の"口赤き"ところ、
"赤き池に"ひとりぼっちの…、
亡者たちから着物を剥ぎ取る 奪衣婆( ↓ 写真あり) の"まっ赤な口"、
"まっ赤な"血の池地獄……
赤、赤、赤、あか がいっぱい 赤色嗜好さがよくわかる。
茂吉の第一歌集は「赤光(しゃっこう)」
そして最後の歌集は「白き山」。
赤から白へ。
背広を着て、右手にこうもり傘、左手に(極楽という名の)バケツ、
これ、茂吉スタイル。
小便が近く持ち歩いたバケツがマイトイレ。
内側はコールタールでコーティング
こだわりどころがおもしろい
(一見 ではないのかな)野人と言われる茂吉
素朴な田舎のひとではあるが、精神科医で歌人。
ものかきってやっぱり、おもしろい(ステキな変人)ひとが多いよね。
「田舎」とは、わたしにとって自然が多くのんびりできて住みやすい場所
ちなみにわたしは震災ボランティア後、
東京からわざわざ田舎(福島)に移住しました
「死にたまふ母」 其の三 ・ ・ ・ ・ ・ ・
楢(なら)わか葉照りひるがへるうつつなに山蠺(やまこ)は靑(あを)く生(あ)れぬ山蠺は
日のひかり斑(はだ)らに漏りてうら悲(がな)し山蠺は未(いま)だ小さかりけり
葬(はふ)り道(みち)すかんぼの華(はな)ほほけつつ葬り道べに散りにけらずや
おきな草口(くち)あかく咲く野の道に光ながれて我(われ)ら行きつも
わが母を燒(や)かねばならぬ火を持てり天(あま)つ空(そら)には見るものもなし
星のゐる夜ぞらのもとに赤赤とははそはの母は燃えゆきにけり
さ夜ふかく母を葬(はふ)りの火を見ればただ赤くもぞ燃えにけるかも
はふり火を守(まも)りこよひは更けにけり今夜(こよひ)の天(てん)のいつくしきかも
火を守(も)りてさ夜ふけぬれば弟は現身(うつしみ)のうた歌ふかなしく
ひた心目守(まも)らんものかほの赤くのぼるけむりのその煙(けむり)はや
灰のなかに母をひろへり朝日子(あさひこ)ののぼるがなかに母をひろへり
蕗の葉に丁寧に集めし骨くづもみな骨瓶(こつがめ)に入れ仕舞ひけり
うらうらと天(てん)に雲雀は啼きのぼり雪斑(はだ)らなる山に雲ゐず
どくだみも薊(あざみ)の花も燒けゐたり人葬所(ひとはふりど)の天(あめ)明(あ)けぬれば
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
死んで燃やされた母の肉体と火の赤色。
忘れられない光景。
茂吉の中で消化出来ぬ母の死と、
その後、昇華して行くさま。
赤から白へ……
こんな風には書けないからせめて
いつか読んで、自分の一部にしたいと思った。
今日はなんとなく、周囲に散らかりっぱなしにしていた小モノ達を片付けてすっきり。
中身が不明だったSDカードの写真を整理していたら見つけた
ちょっとタイムリーなこの写真を一緒にアップ。
久々のブログ更新は、館長講座受講の覚え書き。
あら、お空の月がぽっかり真ん丸。
今日か明日かは満月か。
おうち受講後の奪衣婆の写真発見でここにいたる。感謝。
それでは、また