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同人サークルA-COLORが北海道をうろうろしながら書いているブログです

女ひとり大地を行くについて

2025-01-12 20:27:03 | 聖地巡礼

1950年代の夕張市の様子を捉えた『女ひとり大地を行く』。本作の聖地巡礼――撮影場所について書こうとすると、どうしても時代背景や撮影当時の出来事について触れなければなりません。

ただ、それを書き始めると途方もない量となってしまいます。そこで本記事では「時代」「労働組合」「炭鉱会社」の三つに絞って簡単なあらましだけ書きます。

時代

本作は1952年9月から撮影を開始しました。撮影前後の出来事をまとめると、以下のようになります。

1945年8月 第二次世界大戦終戦
1950年6月 朝鮮戦争勃発
1951年9月 サンフランシスコ平和条約調印
1952年4月 サンフランシスコ平和条約発効、GHQ解体、日本の主権が回復
1952年9月 『女ひとり大地を行く』撮影開始
1953年2月 『女ひとり大地を行く』全国公開
1956年 経済白書「もはや戦後ではない」と記述

本作は、まさに「戦後間もない」日本で撮影されています。

作中、サヨ(山田五十鈴)が警察予備隊に入隊する息子を探すために千歳町を訪れます。このとき、まだ自衛隊は発足しておらず警察予備隊でした。

その千歳の町並みといえば、英語の看板が軒を連ね、米兵とおぼしき通行人(もの凄いカメラ目線)が闊歩しています。この当時、千歳には米軍が駐留していました。

本作の千歳の町並み、英語の看板が軒を連ね米兵とおぼしき通行人はもの凄いカメラ目線

そして、この時代は、朝鮮戦争特需で日本の景気は浮揚するのですが、なかでも傾斜生産方式で資材が重点投下された石炭産業は大いに沸きました。

石炭の町・夕張市も、その恩恵にあずかり町が発展し、人口も急上昇――石炭産業にとっても、夕張市にとっても輝かしい時代でもありました。

労働組合

本作の誕生には、炭鉱業界と映画業界の労働組合運動が密接に関係しています。

なかなか当時の状況を説明することが難しいのですが、ざっくりとまとめると以下のようになります。

映画業界:

1946年から1950年まで、大手映画会社東宝とその従業員による「東宝争議」と呼ばれる労働争議が行われる。
1950年、労働組合側の従業員は解雇され、他の映画会社でも映画が撮れなくなり、自ら映画を撮るための独立プロを次々と立ち上げる。
本作を製作したキヌタ・プロダクションも、追放された亀井文夫らが立ち上げたもの。

炭鉱業界:

戦後、炭鉱労働者の労働運動が社会党や共産党の支援を受けて組織化。
1950 年、日本炭鉱労働組合結成。
炭鉱を舞台にした労働争議が行われ、大規模なストライキが繰り返された。

労働組合による自主製作映画

労働組合運動が盛んだった1950年代、労働組合は文化活動の一環として自主製作映画を作りました。
こうした流れから、日本炭鉱労働組合北海道地方本部も映画を作成。それが本作です。

ちなみに資金不足を補うために、労働組合員が一人33円ずつカンパを募りました。そのことが映画冒頭に表示されます。

本作冒頭では、労働組合員が一人33円ずつカンパしたことが表示される

なお『新夕張と共に』によると、カンパといっても寄付ではなく、製作完了後に返済したようです。

そして共同製作として、「東宝争議」によって東宝を追放された亀井文夫らが設立した独立プロのキヌタ・プロダクションに依頼。
監督には、亀井文夫に白羽の矢が立ちました。

炭鉱会社

本作の舞台は炭鉱ということで、撮影現場や炭鉱機械の撮影には炭鉱会社の協力が必要です。

炭鉱会社の協力については、社会党代議士岡田春夫が「炭鉱労働者を題材にした組合自主映画を作りたい、条件は三百万円の資金供与と炭労北海道支部の全面協力」と亀井監督に請け合ったとのことです。

美唄市我路にあった岡田春夫の生家(現在は解体)

亀井監督は組合員(炭鉱会社の職場作家)の協力も得て脚本を練り上げていきます。そして出来上がった脚本は、炭鉱労働者を主人公に据え、炭鉱会社の横暴を批判するという内容となりました。

当然、炭鉱会社はこれを許さずシナリオの修正を要求。

しかし、亀井監督がこれを拒否したために炭鉱会社が会社施設での撮影を許可しませんでした。

そのため、撮影隊が夕張市に入ったものの電気設備や施設は使わせてもらえず、坑外でのシーンは撮影できたものの、坑内や施設内での撮影はできなくなりました。

さらに、1952年10月17日から炭鉱では無期限ストライキに突入(ストライキは63日間にも及び、後に63日の無期限ストと呼ばれます)。

このストライキを予見していた撮影隊は、その前日に夕張市を離れることになります。

そして、場所を釧路市の太平洋炭鉱、旧阿寒町の雄別炭鉱と場所を移しながら撮影していくこととなりました。

現在の感覚からは、ちょっと理解が難しい戦後日本の状況。

本作の撮影には、このような要因が絡み合っていたことを念頭に置いて「聖地巡礼」について記事を書き進めていきます。

本作が撮影された前後の社会情勢や、本作の撮影に関するトラブルは『たたかう映画』(亀井文夫著)や、『鳥になった人間』(都築政昭著)などに記載があります。



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