11月の「網干ロマン街道めぐり」とVoigtländer SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 ASPHERICAL IIIの試写で網干の建築を再撮影したのでその中からいくつかを紹介。
以前こちらの記事でも紹介した物件です。
『姫路市網干区の近代建築(EBONY SW45で撮影)』
『網干の近代建築』
『網干の近代建築と町家』
一部、初登場の物件もあります。
使用カメラ・レンズ
1.SONY α7・Ai NIKKOR 20mm f3.5S・2017.11撮影(印なし)
2.SONY α7・Voigtländer SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 ASPHERICAL III E-mount・2017.12撮影(☆印)
3.その他のレンズ(★印)
※2017/12/26追加※
1992/2/4と1996/8/9撮影の写真を整理したので追加掲載します。
20年間の変化を見てもらえたらと思います。
※2019/7/1追加※
その後判明したこと等を追記訂正しました。
旧赤穂塩務局網干出張所庁舎
(大蔵省臨時建築部/M末頃?/木1/経済産業省近代化産業遺産)
作業用の足場が組んである。
瓦が綺麗になっている。吹き替えたようだ。
姫路フィルムコミッションのメルマガにも紹介されている。
瓦葺き替え、ペンキ塗り替え前の写真
(カメラ;Nikon FA・1996/8/9撮影)
『網干の近代建築と町家』で 旧赤穂塩務局網干出張所内建築 その2 として紹介した物件
(大蔵省臨時建築部?/M末頃?/木1/経済産業省近代化産業遺産)
おそらく旧赤穂塩務局網干出張所庁舎と同時期の建築であろうと思われるが、確たる証拠はない。
北側に大きな窓があるので、塩の品質検査のような微妙な色を確認する作業ををしていた建築ではなかろうかと推測しているが、確たる証拠はない。
※2019年3-4月頃解体されました
旧赤穂塩務局網干出張所 塩倉庫
(大蔵省臨時建築部/M末頃?/木1/文化財指定なし)
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月極駐車場が出来る前の写真
(カメラ;Nikon FA・1996/8/9撮影)
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※手前の一棟は2019年3-4月頃解体されました。
旧大日本セルロイド(株)網干工場 事務所棟
(不詳/不詳/RC?/日本の近代土木遺産)
網干に日本セルロイド人造絹糸の工場が出来たのは1908(M41)年。そして1919(T8)年に堺セルロイド、日本セルロイド人造絹糸、大阪繊維工業、東京セルロイド、三国セルロイド、能登屋セルロイド、東洋セルロイド、十河セルロイドの8社が合同し、大日本セルロイド株式会社となった。
建物の様子からT8以降の竣工だろうと思うので、旧大日本セルロイド(株)の事務所とした。日本セルロイド人造絹糸時代の竣工かもしれない。
『網干の近代建築と町家』で 旧日本セルロイド人造絹糸 正門付近の建築 その1 として紹介した物件
(不詳/M43以降/RC?/日本の近代土木遺産)
フェンスが金網になったので、全景が見えるようになった。
旧日本セルロイド人造絹糸 外国人技師住宅 2
(設楽貞雄/M43/木2/ひょうご住宅百選・姫路市都市景観重要建築物等・経済産業省近代化産業遺産)
立ち入り禁止のため道路から見える範囲内で撮影した。
緑色の旧日本セルロイド人造絹糸 外国人技師住宅 1 と同型ながら、煙突が無い、2階南大窓に鎧戸が付いているなどの違いがある。
昔はもう少し近づいて写せた
(カメラ;Nikon FA・1996/8/9撮影)
ダイセル化学工業 エンジニアリングセンター
(設楽貞雄?/不詳/木1/文化財指定なし)
正面右側には鎧戸が入っており、古い洋館の趣がある。おそらく他の2棟と同時期の建築ではないかと思う。
左側はアルミサッシに入れ替わっている。
後部には表の洋館と趣の異なる建築がくっついている。増築のように見える。
※後部の増築部分は2019年に解体されました。
(設楽貞雄/M42/煉瓦/日本の近代土木遺産)
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昔は門が開けっ放しだったのだろうか?今では崩れている煙突てっぺんの金属飾りは健在だ。
(カメラ;Nikon FA・1992/2/4撮影)
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旧大同燐寸工場、旧龍田紡績本社工場が解体された今、姫路市内のレンガ建築としては旧陸軍第十師団 兵器庫に次ぐ貴重な存在である。
旧岡田燐寸製造所 倉庫
(不詳/T14頃/煉瓦/文化財指定なし)
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旧長久医院
(永岡組/S5頃/木2/文化財指定なし)
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デイサービスは営業していないようだ。
旧知原眼科
(不詳/不詳/木2/文化財指定なし)
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旧タムラ技研 本社
(不詳/不詳/木2/文化財指定なし)
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ペンキは綺麗に塗り替えられているが、会社は廃業している。
陽福工業
(不詳/不詳/木2/文化財指定なし)
側面に下見板が見える。
前面タイルや瓦などを見ると昭和30年頃の建築に見えるが、次に紹介している網干商工会館(S15)を見るとよく似たタイルと瓦が使われている。
ただし、瓦やタイルは吹替・張替も考えられるので、建築当初の姿とは限らない。
※右下に「東芝」と記された水準標がある。終戦直前に東芝の工場が誘致されて来た時に建てられた建築のようである。
現在、網干では東芝ではなく西芝電機として稼働している。
網干商工会館
(不詳/S15/木2/文化財指定なし)
道路が狭く引きが足りないので、真正面から撮影すると建築全体は入らない。
★11月撮影
陽福工業と同じく、赤瓦が使われている。
長くなってきたので町家・街並は次回。