この度の、地震・津波ににより亡くなられた方々にお悔やみと、被災された方々にお見舞い申し上げます。
※東北の被災地の方々と比べると何とも無かったと言えるレベルですが、私の地震経験を記しておきます。
去る3/11午後、私も常総市と守谷市の境にある職場で地震を体験いたしました。
最初はよくある地震のような小さな揺れがしばらく続き、いつまでたってもおさまらずどんどん大きくなり、机の下に隠れているより他に何も出来なくなりました。
震度5強。棚は倒れ、引き出しはすべて飛び出し、事務所は惨憺たる状態になりました。
揺れがおさまってから恐る恐る外に避難しました。不幸中の幸いで職場での怪我人は無く全員無事。その後の仕事は切り上げて帰宅することになりました。
帰宅途中、南西の空が重たい感じの赤黒い雲で覆われていました。いわゆる地震雲だったのかなと思います。
町の様子は普段と変わりなく、コンビニも営業しており不思議な感じがしました。とりあえず、水・食パンなどの食料品を調達しました。
帰宅してみると、建物は無事でしたが予想通り足の踏み場も無いくらいに様々なものが散乱していました。
本・CDが散乱し、プリンタは落下していました。とりあえず散乱したものを片付けはじめましたが約3時間ぐらい掛かったでしょうか。余震に備えて落下したものは棚に戻さず、床に並べて置いています。
このような状態の中、落下したプリンタや家財道具・食器類には全く被害なく、唯一の被害はヤマトの模型が大破したことだけでした。本当に幸運としか言いようがありません。
守谷市の自宅では停電・断水は無く、瓦斯も地震で自動供給停止したものの、メーターの復帰ボタンを押すと再度供給されました。ライフラインにも被害はありませんでした。
しかし、TVをつけてみると大津波に呑まれる町。あまりの出来事に愕然としました。余震も幾度と無くあり、携帯の緊急地震情報が何度も鳴りました。
夜になって、いきなりTVが砂嵐になり見れなくなりましたが、電池式の携帯TVは受信できたので付けたまま就寝。
翌12日、後片付けに出勤するため平日と同じ時刻に起床してみるとTVは直っていました。おそらくケーブルTVの機器にトラブルがあったのでしょう。
度々余震のある中、職場の片付けは夕方までにほぼ終わり、あとは工場内の機械の復旧にどのくらい掛かるかというところになりました。
13日はいつもなら骨董市をやっているつくばみらい市の板橋不動に行ってみました。
当然ながら市は開催されず、敷地内の灯篭や石碑が倒れていました。
その後、つくば市まで買出しに行きましたが、営業していたスーパーでは、カップラーメンとパンが売り切れ。しかも断水しているとのことでした。
守谷とつくばを往復する間、かなりの数の木造住宅で瓦が落ちていました。
以上、震災後3日間の私的な経験談でした。
14日以降は、原発問題・計画停電(茨城は今のところ回避)・ガソリン不足などが続いていますが、私自身は特に困っていることはありません。
被害が軽く済んだ私たちには、原発の状態が一番心配です。
現地では命がけで放水、電力復旧に努めている方々が居ます。
事態は必ず解消されると信じて見守るしかありません。
作業員の皆さんのご無事を祈ります。
そして私たち個人に出来ることは、余計な電力・燃料を使わないように心がける、必要以上の買占めをしない、チェーンメールなどの流言・デマに惑わされない、といったところでしょうか。
被災地のために何か具体的なことが出来なくても、一人一人がこのような小さなことに気に留めながら秩序正しく生活することが大切だと思います。
※表題写真は、地震で落下し、2時46分で止まった職場の時計。
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