8月末 入院し、回復の兆しがあり
10月初旬に転院
リハビリを行いながら 自宅での療養を
目指すために がんばっていた。
この調子で、いけば 自宅へ帰れそうとのことで
自宅に 介護ベット、部屋の暖房設備
部屋と廊下の段差など
専門の方が、見に来ていた。
そんな矢先に 容体が急変
昼に 主治医から呼び出しがかかり
病院へ行ってきた。
先日までは、酸素量 1リットルで
実際に体内に取り込まれる 酸素 97%
心拍数 70~80
そんな記憶があったのだが
昼に 出向くと 酸素量 6リットルで
実際に体内に取り込まれる 酸素 82%
心拍数 100前後
と、かなり 苦しそう
意識は、あるし、少しだけ 話せた。
主治医からの説明があったが
風邪、細菌による 炎症による悪化を考えたが
発熱はなく 別の原因
発熱が、ないとすると 単純に
いままでの病状が 悪化した。
との見解
本人は、常に 人工呼吸での延命を望まず
安らかな最後を望んでいた。
と、まずは、優先される意志であるが
家族としては、いかがですか?
との最終確認であった。
非常に苦しそうではあるが、以前 家族で
話をしていたため、
本人同様 人工呼吸での対応は行なわないと
打ち合わせを行なった。
ただし、非常に 苦しいと思われるので
痛みを和らげることは、お願いした。
急変の知らせで駆けつけたため
親戚への連絡先がわからず いったん自宅へ戻る。
再度、8時頃に 駆けつけたが
容態は、さらに 悪くなっていた。
4時~8時の間に いったい何が? と
思われるほど
呼吸の荒さが 増していた。
酸素量 10リットルで
実際に体内に取り込まれる 酸素 35%
心拍数 110前後
供給する酸素量を増やしても
体内へ取り込まれる酸素は、わずか
酸素を 取り込もう 取り込もうとするため
呼吸が、速く 速くなっている。
実際には、吐くほうを優先し
体内の二酸化炭素を 排出しないと
新しい酸素も 入らず 体内の酸素量は少ないそうだ。
吐く方を優先する呼吸を 真似し
本人に 促すも やはり 呼吸の速さは 速い
寝ている状態にも 関わらず
心拍数は 速く 軽い運動をしているような状態
普段の呼吸に 意識を持ってしていないが
呼吸に意識をし
呼吸をする 仕事 運動
呼吸をする=生きる
との状況になっていた。
4時~8時の 4時間 ずっと 走っているような
そんな状態が続き、のどが 渇くらしく
酸素マスクを ずらしては、
ストローで 水をもらい 飲んでいた。
大量に水を飲むと むせるらしく少しづつ飲んでいた。
水を飲む という ごく当たり前のことが
生きる上での 重要な作業になっていた。
手の先端からは どんどん 熱が 感じられなくなり
額の部分も 白くなっていった。
意識朦朧とする中でも 必死に酸素を
取り込もうとしている姿に
人工呼吸器での選択が 浮かんだりもした。
のどの奥に 舌が落ち ふさがれるのか
呼吸がしずらく いびきのような状態になった。
苦しさに 目を潤ませ 必死に 呼吸をしている姿を
じっと 見守るしかない
手を握っても 握力がなく 冷たい
もがき 苦しみ のどをかきむしるなどの
行為はなかったが
必死に絶えた 8時以降の3時間
入院中の手帳が、机に 置いてあった。
入院中の対応が、記載されていた。
手に力が入らず、読みにくい文字であるが
必死に書いていた様子が 伺える。
先生、看護師さんへの感謝の言葉が
記載されていた。
その次のページには
苦しんだ 母の 願いのような言葉が
『先生 ねむらせて』
眠ろうにも 眠れない日々を過ごした母の
もっとも 強く願っていた 言葉のような気がした。
平成25年 11月 30日 午後11時20分
67年の呼吸が 止まり
やすらかな 眠りについた。