65編は、今までの詩編と異なり、おだやかで、
神様のみ業を歌っています。
「岩から出る蜜」(蔦田二雄著)から抜粋し記しま
す。
神が祈りによって、贖(あがな)われた民と交友を
保たれるという事は、キリスト教の骨子である。
神の存在が鮮明にされる事も幸いであるが、神が
祈りに関心を持たれる事は、更に、優る恵みであ
る。
「祈りを聞かれる方よ、みもとに、すべての肉な
る者が参ります。」
「あなたは地を訪れ、水を注ぎ、これを大いに
豊かにされます。神の川は水で満ちています。
あなたは、こうして地の下ごしらえをし、彼らに
穀物を作って下さいます。」
水の満ちている川をもって、地を恵みで覆い尽く
されるのである。
それは、天にある川の恵み、天に貯蔵されている
霊的、物質的な富をも意味する。
「下ごしらえをし」とあるが、神はご自身の供給
と配慮を教えられる為に、事態に先駆けて備えら
れる、お方である。
私達は神の供給によって生きている事を学び、
その事実を確認し、経験しなければならない。
そして、その事実に憩うのである。
しかし、憩うという事は、経験に触れて来た時に
出てくる現象である。
「白雨(むらさめ)にて、これを柔らかにし」
(文語訳)
とあるが、これは家の中にまで、その湿りが入っ
て来るような潤いである。
音もなく、しっとりと降り続く神の恩沢を意味す
る。
大注ぎも幸いであるが、畝を壊して種を浮かばせ
てしまう危険がある。
しかし、しとしとと降り続く雨は、蒔かれている
ものを柔らかく育てる。
聖霊の潤いに、しっとりと満たされる様でありた
い。この雨が臨む時、み言葉の種が育ち、豊かな
結実をもたらす。
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最近の梅雨は、線状降水帯が発生し、豪雨に
なってしまっている。
又、昨日、窓を閉めようとした100m先に雷が落
ち肝を冷やした。
再度、文語訳で記します。
「汝、地に臨みて水注ぎ、大いに、これを豊かに
したまえり、神の河は水満ち足り。
汝、かく、備えをなして穀物を彼らに与え給へり
汝、たみぞを大いに潤し畝を平らにし、
白雨(しらさめ)にて、これを柔らかにし、その
萌芽(もえいず)るを祝し、又、恩恵をもて、
年の冕弁(かんむり)としたまえり。
汝の途には膏(あぶら)したたれり、
その恩滴(したたり)は野の牧場をうるほし、小山
は皆、歓びに囲まる。
牧場はみな、羊の群れを衣(き)、もろもろの谷は
穀物におおわれたり、彼らは皆、喜びて、呼ばわ
り、また歌う。」
(詩編65-9~13)
天の父は、その日を、悪しき者の上にも、善き者
の上にも、昇らせ、雨を正しき者にも、正しから
ぬ者にも降らせたもう (マタイ5-45)