ユンケル飲んで、やっと耐えています。年かな?
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今回も、「岩から出る蜜」より抜粋します。
信仰による義、神から与えられる義とは、キリストのあがないを信じる者に与えられる義であるが
、律法を守って自分の義を得ようとする態度については、警戒しなければならない。
自己義には以下の様な特色がある。
1、自己拡大
自分を人々の賞賛の中心にしようとする。
2、自己主義
自分の意見を押し通そうとする。しかし、その 意見が聖書の教えにかなっている場合は別である
3、自己信頼
自信過剰は全てを批判的に見るようになる。
福音に生きる者は、完全にこれらの事から守られているはずである。自己義の動作や計画がないかを、良く考えなければいけない。
パウロは次の様に告白している。
「しかし、私にとって得であった、この様なものをみな、私はキリストの故に、損と思う様になりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っている事の、すばらしさの故に、
一切の事を損と思っています。
私は、キリストのために、全てのものを捨てて、それを、ちりあくたと思っています。それは、
私には、キリストを得、又、キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなく、
キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基ずいて、神から与えられる義を持つ事ができる、と言う望みがあるからです。」
地上的な誇り、優越さを捨てていないと、必ず、自己拡大、自己信頼が出てくる。
自分の行った業、霊的経験に対してのプライドは
神から受ける義に対する否認である。
全ての栄光を主に帰する事を学び修得するように
しようではないか。(ピリピ1-20)