聖書と共に

むしろ、だまされる方が良い

今日は第1コリント6章「静まりと黙想の朝に」
からです。

パウロはコリント教会にトラブルがあった時に
「罪のなすり合いなどをしてはいけない。
 むしろ、不義を受け、だまされる方がましだ」
と言う。

「負けるが勝ち」という言葉は、今の時代には
通じないのだろうか。

パウロは
「あなた方はキリストにより洗われ、清められた
者ではないか」と言う。だから恵みによって悪に
勝つようにせよと教えるのである。

「すべての事は私に許されている」これは、当時
流行した、グノーシス主義の者達が言っていた
言葉である。彼らは、この世の道徳などは無関係
で何をしても良いと主張していた。
だから肉欲的な生活を善悪の区別なく行っていた
のである。

現代でも他人に迷惑を掛けていないのだから、
責められる筋合いはない、と言う人がいる。

しかし、何よりも自分自身を破壊している事に
気が付いていない事が恐ろしい。

    **************

「それとも、正しくない者が神の国を嗣ぐ事は
ない事を知らないのか。

不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者
、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な
者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者は、
いずれも神の国を嗣ぐ事はないのである

あなた方の中には、以前は、そんな人もいた。
しかし、あなた方は、主イエス・キリストの名に
よって洗われ、清められた、義とされたのである」

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る