聖書と共に

罪人を招くため来た

『健やかなる者、医者を要せず、ただ病ある者、これを要す。我は正しき者を招かんとにあで、
罪人を招かんとて来たれり』(マルコ2-17)
この言葉は、当時、立派な生活をしていたパリサイ人の学者の指摘に対して、イエス様が答えられた言葉です。
日本人に、「あなたは罪人と思いますか?」と質問すると、ほとんどの人が「私は罪人ではありません」と言うでしょう。
更に「あなたは、神様に喜ばれていますか?」と問うと、ほとんどの人は「?」でしょう。
日本人は礼儀正しく、清潔好きで、落とし物も帰ってくる等々、良い所が沢山あります。
イエス様のおられた当時のパリサイ人も、清潔で
自分を清い人と思い生活していました。
しかし、神様の求めておられた事は
『憐れみを愛し、謙遜りて、汝の神と共に歩む事ならずや』(ミカ6-8)
と、神と共に歩む事を昔も今も望んでおられす。

しかし、、
『我、子を養い育てしに、彼らは我に背けり
牛は、その主を知り、ロバは、その主の飼い葉桶を知る。しかし、わが民は知らない』(イザヤ1-3)
その他、ワンちゃんも、猫ちゃんも、マウスも、ウサギも、金魚も、その飼い主を知っている。
霊長類の頂点に立つ人間は、その造り主を知らない。
イエス様は、この世に来られ、人の心の中に、神様を思う心を与えて下さいました。
『それ神は、その一人子を賜う程に、世を愛したまえり。全て彼を信ずる者の亡びすして、永遠の命を与えん為なり』(ヨハネ3-16)


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