聖書と共に

荒野での試練は私達への教訓

今日は、第一コリント10章です。

モーセの時、イスラエルの、約200万人が、
エジプトから脱出し約束の地へ向かいます。通常
なら7日間位で行けるのに、40年間、荒野での
生活をします。

しかし、彼らのうち、多くは神のみ心の叶わず
荒野で亡ぼされた。
これらの事は、私達への教訓である、とパウロは
言います。その例として

①民がエジプトの金の子牛の偶像を礼拝した。
 (出エジプト初期)
 「民は座して飲み食いし、又、立って踊り
  戯れた。」  (出エジプト32-4~)
②不品行をした。出エジプト終わりの頃
 イスラエルの民は、いよいよ、約束の地へ到着
 目前の時にモアブの王バラクは占師バラムに
 相談し、イスラエル攻略を考えます。
 結果、イスラエルの民をモアブの女と淫行させ
 る事でした。バアル神の祭りにイスラエル人民
 を招き入れた。これによってこれに参加した
 イスラエル人が1日に23000人亡ぼされた。
             (民数記25-9)
③主を試みた。(食物も無く、水も無し)
 主を試みた者は、ヘビにかまれ亡ぼされた。
 神様は食物としてマナを与え(森永マンナの由来)
 岩から水を出された。  (民数記21-5)
  
④指導者モーセとアロンにつぶやいた。
 コラの家族、他に14700人が疫病で死ぬ。
             (民数記16-49)
彼らがあった、これらの事は、我らの教訓の為に
記された。
「あなた方の会った試練は、世の常である。
神は真実なれば、汝らを耐え忍ぶことができない
ほどの試練には会わせられない。
試練を堪え忍ぶことが出来るために脱出の道も
備えておられる。」

ここから「限りなき主の栄光を求めて」から

誘惑は誘惑はされる人の性質に適合しており、
その性質に潜む可能性を暴くものである。
そして、誘惑は、その人の支配的な性質にめがけ
てやって来るのである。

誘惑とは、私が目指す最高の目標を実現する為の
近道がある、とほのめかすのである。
私が悪だと分かっている方向に私を導く事はない
むしろ、私が良いと思う方向へ導くのである。
誘惑に屈すれば、私は欲望を神格化した事になる。

神は誘惑(試練)に遭わない様に救って下さらない。
誘惑(試練)のただ中にあって、私たちを救って
下さる。

最近では、お金にまつわる誘惑が多いですね。

おれおれサギ、投資サギ、カードサギ、
気を付けて下さい。

 
 
  
  
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