聖書と共に

指導者ニコデモ

今日は、ヨハネの福音書3章のニコデモと言う
人の話です。

ニコデモと言う人はユダヤ人の有名な指導者で
パリサイ人、教師を教える教師でした。
年配の人でした。完全無欠のような彼が夜に、
こっそりと若造のイエスの所へ来ます

彼はユダヤ教と聖書に通じていましたが、
「神が共におられる」と言う事については、
不安でした。

 そこで、夜に、イエスの元に教えを乞いに
行き、質問します。
「先生、私達は、あなたが神から来られた教師
であることを知っています。神が共におられな
いならば、あなたがなさっておられる様な、
しるしは、誰も出来ません。」

 すなわち、ニコデモは、「どうしたら神が
共におられる生活が出来るのか?」を聞きに
来ました。

 イエスは答えて言われた。
「よくよく、あなたに言っておく。誰でも
新しく生まれなければ、神の国を見る事はでき
ない。」
 ニコデモは言った。
「人は年をとってから新しく生まれる事が、
どうして出来ますか?。もう一度、母の胎に入
って生まれる事が、どうして出来ますか?」

イエスは言われた。
「よくよく、あなたに言っておく。誰でも、
水と霊とから生まれなければ、神の国に入る
ことはできない。
肉から生まれる者は肉であり、霊から生まれる
者は霊である。」・・・・

モーセが荒野でへびを上げた様に人の子も上げ
られなければならない。それは彼を信じる者が
全て永遠の命を得るためである。

神はその一人子を賜った程に、この世を愛して
下さった。それは御子を信じる者が一人も滅び
ないで、永遠の命を得るためである。

 バックストンは、「ヨハネの福音書講義」で
「御子を信じる者が、一人として滅びる事なく
永遠の命を持つためである」ですから、ニコデ
モは自分が望みのない瀕死の一人の罪人である
事を承諾しなければなりませんでした。

2節を見ると、彼はただ、少しの教えを聞く為
にやって来た事が分かります。自分は神に属し
ていると思っていました。

 誰でも新しく生まれたいならば、十字架の前
にひれ伏して、望みのない自身の憐れむべき姿
を承諾しなければなりません。

十字架を受け入れる時、聖霊が働かれて、魂を
生まれ変わらせて下さる。キリスト教は単なる
道徳を教える宗教ではない。救いを与え、命を
与えるものである。
      (静まりと黙想の朝により)


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