聖書と共に

最後の晩餐 (聖餐式)

私の属しているプロテスタント教会(ホ-リネス系)
では、毎月、最初の日曜日に聖餐式がありま
す。
それは、イエス様が十字架にわたされる前日の
夜に、弟子達に、「記念として、これを行いな
い」と言われているからです。

「静まりと黙想の朝に」(松木祐三著)。毎日
読んでいる今朝の箇所がここでしたので、
ご紹介します。

「またパンを取り、感謝して、これを裂き、
弟子達に与えて言われた。
『これは、あなた方の為に与える私のからだで
ある。私を記念す為この様に行いなさい。』
食事の後、杯も同じ様にして言われた、
『この杯は、あなた方の為に流す、私の血で
立てられる新しい契約である』(ルカ22-19~)

 主イエスはパンを取り、十字架で裂かれる
体である事を示し、これを記念せよと言われた
、杯についても同様の事を教えられた。
十字架の救いは「新しい契約」であると言われ
たのである。

 千数百年前、神はモーセによって、十戒を守
るなら、その民を守り、救うと約束された。
これが古い契約である。しかし民は契約を踏み
にじったのである。

 それにも関わらず、神は誠実に契約を守り通
された。十戒を守る事ができない罪人なる私達
の為に十字架によって救いの道を開かれた。

 聖餐式は、その記念である。
十字架は新しい契約であり、神と人との関係の
更新である。私達と神との関係を、正しい状態
に戻してくれるのは、十字架である事を覚えね
ばならない。十字架の前にへりくだり、砕かれる時こそ、神との関係が正しくされる。
これを忘れてはならない。

  ***********
日本人には、「至誠通天」の思想が根深いです

「心だに誠の道にかないなば、祈らずとても
 神や守らん」      (菅原道真)

しかし、これは自分が主となっており、私達を
愛し、私達を造られた神様との関係は、無関係
となってしまいます。
又、日本の神様は、厄除け、ご利益、商売繁盛
家内安全、無病息災等と自己主体の神です。
十字架はラチ外です。

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