聖書と共に

たといそうでなくても

BC586年、バビロン帝国により、エルサレム崩壊。ユダヤ人の主だった人はバビロンへ捕囚として移された。
バビロンのネブカドネザル王は、金の大きな像を作り、これを拝まない者は火の炉に投げ込むと決める。ユダヤ人3人の若者は、金の像への礼拝を拒否。その尋問の時に、『私たちの仕える神は、火の燃える炉から救い出されます。しかし、たといそうでなくても、私たちは、貴方の金の像を拝みません』。その後、彼らは火の炉に投げ込まれる。これを見ていた王は「火中を歩いている4人が見える、4人目の姿は神の子の様だ」この後、彼ら3人は全く焼けず炉から出てきます。この記事はダニエル書3章の有名な所です。

次は戦前の朝鮮です。
「たといそうでなくても」著者 安利淑(アンイスク)
安利淑の自伝。生まれは朝鮮。京都の専門学校で学び朝鮮のミッションスクールで日本語と音楽を教える。キリスト者であった為、神社礼拝を拒否し、警察へ行くが脱出し逃避行へ。
ある時、神の声を聴き「平壌」へ行く。
平壌駅で、全国から召集された多くの若い日本兵が中国へ送られていた様を見る。日本人の偶像崇拝と創造主に逆らう罪悪を、なぜ、この若者達の命で償わねばならないのか。聖書に、偶像崇拝の代価は戦争と飢餓と疫病である。その為、若者は戦死し、若い女はやもめとなり、父母は子を失う、と書いてある。
日本の指導者達の目を覚まさせなければ、と思い
死を覚悟で長老と二人で日本、東京へ向かう。
前総督の宇垣大将を訪ね、日露戦争時の兵士だった日疋(ヒビキ)少将、松山代議士に会う。
帝国議会の傍聴席から警告文を投げ込む。
警察での尋問で
『日本は、現在、あらゆる反逆を天地の創造主である神に向かって犯しています。神様は、日本を罰せずにはいられなくなりました。硫黄の火で日本は焼かれて亡びるのです。それを国家の指導者達に言い伝える為に来ました。』
その後、朝鮮へ護送され平壌刑務所で6年間投獄。
朝鮮では、全てのキリスト教会の講壇に神棚が設置され、牧師は暴行を受け刑務所へ送られた。
その一例の崔牧師、神社参拝問題が起こった時、それに反対した会の指導者であり、警察に検挙されてからは、何度も気絶する拷問を受けた。
その真白な、髪は血に染まり真っ赤になった。
着物がボロボロになるまで、叩かれ死人の様になった。
それでも、彼は拷問する日本人を愛して、
「彼らを滅ぼさずに、悔い改めさせて下さい」と祈り続けた。その後、拷問と寒さと飢えで、その刑務所で天に召された。
その他、多くの牧師、伝道師、長老、執事が(本には氏名が書いてある)刑務所で殉死した。

609ページの本であり、使徒行伝の続きのようである。
この様なことは、台湾でも行われた。


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