聖書と共に

慎み深く

今日は「新約聖書1日1章」(榎本保郎牧師)
から抜粋し、ご紹介します。

「宴楽と泥酔、淫乱と好色、争いとねたみ
を捨てて、昼歩くように慎ましく歩こうで
はないか」 (ロ-マ13ー13)

とある様に、肉を喜ばせる事や、我執に
走ったりして、神の事を第一にしないのが
慎み深くない事であると聖書は教える。

神がこの世を支配しておられるとか、ある
いはイエスが世の終わりに来られるという
事を、この世の成り行きに埋没させてしま
わないで生活する、それが慎み深くと言う
ことである。

今、イエスがここへ来られて、
「榎本、お前は何をしているか」と問われ
た時に、「いや、ちょっと…」と言い訳を
しなければならない様な生活をしているの
は、慎み深い、という事ではない。

どんな瞬間でも、イエスが来られた時に
「イエス様!」と言ってついて行く事の
できるような生活が慎み深い生活と言う
のである。

つまりイエスに対するガラス張りの生活が
慎み深い生活というのである。

私達は罪を犯さないという事は、なかなか
できなくても、罪から遠ざかる事に努力は
する事はできる。
私達は、悪魔と相撲をとろうとしてはダメ
で、逃げなければならない。それ程、私達
は弱いのである。
そういう生活も、悪から離れた慎み深い
生活である。

主イエスから、「お前は、私のものだ」と
言って頂いている事を確信し、受け入れ
どんなに、この世から捨てられてもなお
約束を信じて生きて行くのである。

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最近はSNSや、インスタグラム、youtube
,tiktokなど私達の思いを楽しませるものが
多くあります。そこから離れる事も大切
です。

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