聖書と共に

信仰は種である

前回に続き「信仰の動力」(ウィルクス著)
の竹田俊造訳「信仰の秘訣」です。

第1章 総論
2、信仰は種である
 「からし種ほどの信仰」 (マタイ17-20)

 聖書には、神の言葉を種として記した
箇所もある。(ルカ8-11、Ⅰペテロ1-23)

ここでは、信仰を種と言っている。
神の尊い約束の言葉である小さな種粒が、
人間の心の畑に埋められると、これを
とらえ、これに密着して、この内にある
命と力を引き出すのは、信仰の不思議な
きである。

言葉に力があるのか、信仰に力があるのか
、この二者を区別する事は非常に難しい事
である。これらは、ほとんど一つで同じ様
に見える。

元来、種には命があり、この命が種の中に
驚くべき原動力として静かに潜在している

種が土の中に埋められ、水分があると、
その潜在力である、命が作用し始め、鼓動
し、活動する。
 その様に、信仰も、一度、聖霊によって
霊魂の内に植え付けられると、直ちに活動
し始め、鼓動し、不思議な力を現して、
静かに働く。

こうして、我らの一切の願望、愛情、感情
思想、想像など、今まで自己中心の為に、
神に対して無感覚となり、死んだ様な、
睡眠状態にあったものが、その時から
目覚め、憐れむべき罪深い人類に対する
神の愛の光線の中に、萌芽、発育するので
ある。

   ********

日本では何千万人の人が、初詣に神社や
お寺、観音へ参拝に行きます。
商売繁盛、無病息災、家内安全、など
これらは、真の神様に対して無感覚、死ん
だ様な睡眠状態と言えます。

私が初めて聖書を読んだのは、ギデオン
協会から頂いた、新約聖書でした。

特に、私の心に響いたのは
「悲しむ者は、幸いです。」 (マタイ5-4)

なんで!、なんで!と不思議に想いました

あれから60年。1月で後期高齢者になり
ました。
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