聖書と共に

御霊の思いは生命と平安

今日は、ローマ人への手紙8章です。

今や、キリスト・イエスにある者は、罪に定め
れる事はありません。
肉に従う者は肉の事を思い、霊に従う者は霊の
を思う。
肉の思いは死であり、御霊の思いは生命と平安
です。
肉にいる者は神を喜ばす事はできません。
しかし、神の御霊があなた方の内に宿っているな
ら、あなたがたは肉におるのではなく、霊におる
のである。

全て神の御霊に導かれている者は、の子である
その霊によって私達は「アバ父よ」と呼ぶのであ
る。
ここから「静まりと黙想の朝に」(松木祐三著)
からです。

コリントの教会のある人は、ねたみ、争っていた
。この人々をパウロは「肉の人」と呼んだので
ある。肉性は取り除かれなければならない。

神は、キリストの十字架の後に、聖霊を遣わされ
た。聖霊は人々に働きかけ、個人的にキリストの
救いを与える。
又、聖霊は罪と死の法則に縛られている者を、
解放する。故に、聖霊は「命の霊」と呼ばれる。
霊的な命、永遠の命である。

更に、聖霊は人を神に思いを向けさせる、お方で
ある。「思い」という言葉、これは傾向性を意味
する。神の子たちはキリストの霊が与えられてい
るから、心をキリストへ向ける傾向性を持つので
ある。神に心を向ける習性を持つ事は幸いである

聖霊は人を神の子へと導く。人が、神の子とされ
るのは、イエス・キリストを信じる信仰によって、
新生するからであるが、その体験を与えるのが
聖霊である。

今は神を父と呼ぶ事ができる。「アバ、父よ」と
呼んで良い者とされたのである。
(アラム語のアバは、英語ではパパ、日本語では、
とうちゃん)

「彼を受け入れた者、すなわち、その名を信じた
人々には、彼は神の子となる力(権利;筆者追記)
を与えたのである」とある。(ヨハネ1-12)

聖霊は、私達の霊と共に「わたしたちが神の子で
あると証しして下さる」 (ロ-マ8ー16)

聖霊は信仰生活の中で神の子なのだ、そう信じて
良いのだという確信を作り上げてくださる。
それでも、しばしば私は、これでもクリスチャン
なのかと思う事があるだろう。
しかし、神の家族に入れてくださったのは
キリストご自身であり、私達は、それを受け入れ
たのである。だから恐れなく主に信頼し、親しく
祈って良いのである。
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