高畠華宵 《花かご》
『美智子さまと恋文』という本が出版された時、どうしてあんな私的なお手紙が世に出たのか不思議に思っておりました。
高畠華宵 《清き便り》
しかしそのなかで話題となったのは、おすべらかしを結い上げる時た後、洋髪に直すのにベンジンを使用して鬢付け油を洗い落とすという衝撃的な事実。
テレビでも取り上げられていました。その“ベンジン”とは何ぞや・・・・と説明いたします。
ベンジンは石油から精製して作られた揮発油の一種です。工業用でも使用されますが、家庭では着物等のシミ抜きでも使用されますが、機械の掃除にも使用されます。つまり油落としですね。
シロガネが勤めていた工場でも生地についた変な汚れを落とすのに、一度ベンジンを使った事がありました。上司が落とすのを見ていただけですが、それを使っても落ちなかったです。普段はアセトンを使用しておりましたので、そのベンジンを使ったのが珍しくて、良く覚えています。
そういう薬品を付けすぎると後で染料が生地に浸透しなくなってダメになります。主に色を引く時、他の染料が飛び、付着した時に良く使用しました。もうイロイロとやらかしてしまいまいましてとても申し訳なく思い出されます。
さて『美智子さまの恋文』にはベンジンに付いてこう書かれています。
高畠華宵 挿絵
「いままで三宮妃殿下方ともおぐしにベンジンを浴びるようにかけて、お落としになり、それがひどいお苦しみで、お倒れになった方もおわりと伺いました。
私は出来るだけ、卒倒しないように済むように、頼んでみます」
「私のお嫁さんはなんとかそのベンジンから救いたいと思います」
高畠華宵 《聖女》
・・・・と書かれております。番組では現皇后様や皇嗣妃殿下のご成婚の時、ベンジンが使われなかった事を美智子さまのお陰であるというように伝えていましたが、実際はどうでしょうか。
高畠華宵 《華麗の夢》
三笠宮殿下の伝記『三笠宮崇仁親王』の百合子妃殿下の談話・・・・オーラルヒストリーが収録されています。彬子女王殿下方が質問する形ですが、当時98歳でいらっしゃた妃殿下のご記憶力の良さにはただただ驚くばかりです。そのなかにベンジンの事が話題になっておりました。
彬子様
御整髪なんかも戦前は?髪を切ったりとか整えたりっていうのは美容院に?
妃殿下
行けない。美容院をいれることもできなくってね。入れたのはね。御慶事の時に御大垂髪を洗うんで。ちょっと素人にはできないもので。それはマリー・ルイーズっていうフランス人ですか。そのおばあさんでしたけど。呼んであって。油をベンジンで落としました。
マリー・ルイーズ(1875~1950)。本名は相原美禰。アイルランド人の父と日本人の母を持つが、フランス在住の叔母の養女となり明治二五(1892)年にフランスに渡り三十二歳頃よりパリの美容学校に通う。明治四十四(1911)帰国、宮中顧問となった。
彬子様
絶対髪に悪うございますね。
近衛様(甯子元内親王)
そしてくさい。
妃殿下
火が付いたら大変。
彬子様
そうでございますよね。
妃殿下
美容院的なものは何も無いから。寝かされて。頭の上に洗面器があって、洗面器の上に頭を乗せて。それでザーザー、ベンジンで油を落としました。今は何?
彬子様
私、かつらでございましたので。典子ちゃま(千家典子)の時にうかがったのは、お相撲さんの鬢付け油を取るための何か特別なシャンプーみたいなものがあって、それを大宰府の宮司様の奥様(西田辻圭子)が聞かれてお差し入れしたっていうのは伺いました。
近衛様
私の時は(与儀美容室の)与儀(八重子)さんがそういうの考えられたんでしょう。
妃殿下
そう。
近衛様
あの洗う、やり方をね。
妃殿下
今はシャンプーもいいものが出来ているから。
彬子様
やはり終わった後にトリートメントなんかも出来る時代ではございませんでしたでしょうね。
妃殿下
そうでしょうね。
・・・・・
彬子様
おばあちゃまのご整髪は侍女さんみたいな方がいらっしゃたんですか?
妃殿下
自分で洗ってましたね。こうやって。
彬子様
短くされることが。こう整えたり・・・・。
妃殿下
そんなに長くなかったから。
近衛様
でも与儀さんにいらっしゃり始めたのはいつ?
妃殿下
戦後ね。
近衛様
割りと早い時期から、新橋かどこかですね。
妃殿下
新橋にね、与儀さんの店が。朝君様(伏見宮博義王妃朝子)に伺ってみたら、そこはどうかしらとおっしゃるんです。それ以来なんですね。新橋にお店がありましたね。
彬子様
長いご縁でございますね。
妃殿下
本当に延々とね。
近衛様
そうそう。
彬子様
親子三代でお世話になっております。
妃殿下
そうね。与儀さんがいい人でしたから。・・・・
・・・・
彬子様
御大礼の時のおかつらを結ったのは、宮内庁の職員だったという話を聞ききまして、かつら屋さんみたいな人が結うのかなと思っておりましたら。職員が全員全部作ったっていう話で、なぜかなと思って聞きましたら、皇族様方の御髪を一般人が結うというのは畏れ多いことだっていうことで、宮内庁職員が結うことになっていたのが、そのまま踏襲されて、現代でも職員が結ったという話を聞きました。戦前からの考え方なんでございますよね。
妃殿下
でしょうね。
近衛様
宮内庁にも今いろいろな方がいらっしゃいますから。
彬子様
もしかしたら嘱託みたいな形かもしれませんが。
田中
妃殿下の大垂髪を上げてらした方もフランス人のおばあさんでございましたか?
妃殿下
大垂髪からあの普通の洋髪にかえますよね?その時にマリー・ルイーズっていう、長いこと日本に居て、もう敬語もペラペラのおばあちゃん。ずっと日本人と同じように座ったりりなんかも出来て。
近衛様
これは掌典(皇室祭司を司る内廷職員)かなんかがするんでしょ?大垂髪は掌典じゃない。誰かが。
妃殿下
別にそうじゃなくて、なんか結う人がいましたね。
近衛様
ちょっと独自だから。
妃殿下
ええ、独自。
近衛様
普通の髪になさるのがその方。
妃殿下
後ろにこんな。
近衛様
ハート形のね。
田中
つと裏(髪を整える為の型紙)でございますね。
妃殿下
油でこう、くっつけるんですけどね。有名なおばあさんがいまして、私なんかその人でした。
(シロガネ注・秩父宮勢津子妃殿下のご本や愛新覚羅浩さんの『流転の王妃』には大垂髪を結ったのは青木いち(お市)というおばあさんと書かれていますので恐らく百合子妃殿下の時も同じ人だと思います)
彬子様
フランス人がそんな大切な時に関わっていらっしゃたとは。
妃殿下
フランス人でも綺麗な敬語をしゃべるおばあさんでしたよ。
彬子様
あの当時の敬語ですから、今よりももっとこうちゃんとしないといけませんもんね。
妃殿下
それこそ遊ばせとかいいますからね。
ご実家の高木子爵邸を小袿に濃長袴の姿で出られる百合子姫。大垂髪は恐らく青木いちさんが結い上げたと思われます。
朝見の儀の後で黒の振袖を召された妃殿下。髪は勿論マリー・ルイーズ女史で有ります。その時の装いのことも妃殿下は語っておられます。
妃殿下
・・・・それでね可笑しいのはね、いろんな服に着替えて、今度は朝見の式とかに出るじゃない?それが終われば、何も御用はないわけね。それで後、何も無いのにね、一番立派な振袖を着せられて、丸帯を締められて、それは老女がやったわけなんで、マリー・ルイーズさんじゃなくてね、素人がしているから、まあ着難いんだけど、そんなことも言ってられない。それで、ずっと何にも無いのに、ちゃんと振袖を着て過ごしましたね。
彬子様
誰に会うわけでもなく(笑い)
妃殿下
誰が来るわけでも無し、何も無いんですよね(笑い)。ただ、お食事を食べただけなの。
後で今の上皇后様がお洋服で、お楽な格好を遊ばしているお写真があったんで、あら、お羨ましい!私は、寝るまで誰も来ないのに、一番刺繍がいっぱいのを着せられて・・・・大変窮屈!(笑い)
彬子様
(笑い)
妃殿下
今でも、可笑しく思うんですけどね。
勢津子妃殿下の自伝でも朝見の儀の後、“黒地に波と鶴の模様に金銀の縫いをした振り袖”に着替えられたと書かれていますので、慣例だったのでしょう。
高松宮喜久子妃殿下ご所用
・黒地梅に鳩模様振袖