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シロガネの草子

「我が身をたどる姫宮」 その10 


 今日は、姫宮様が、久方ぶりにご実家の皇嗣邸に里帰りをなさいます。母君の皇嗣妃殿下は、姫宮様の到着を心待ちになさっておられましたが、K氏の事を思い浮かべますと、どうしてもお心は正直に、嬉しさは半分、といったご心情になられるのでした。そんな風に、妃殿下は、やや複雑な思いでおりますと、皇嗣邸に仕えて居る老女が、 


 「君様(妃殿下・御所言葉)。恐れ入りますが、姫宮様、おするする(御無事・御所言葉)と、こちらにお着きになられました」

 妃殿下がお若い時分から、、お仕えしている皇嗣家御用掛の老女・唐糸(源氏名)は、現在は、皇嗣妃に成られた妃殿下に、そう、声をかけました。すると、妃殿下は直ぐに、


「唐糸さん、姫宮に対して『お』は、いりません。今は、『するする』とだけ、言うようにしなければ、いけませんよ」

 と、おっしゃいました。姫宮様は、現在は、皇族の身分を降りられた方ですので、御所言葉を、使用する際は、以前と違い皇族方と、同様な言い方をしなくてもいいという、意味です。それを、聞いて老女・唐糸は、恐縮しまして、


 「恐れ入ります。誠に申し訳ご座いません。つい、長年の癖を出してしまいました。以後、気を付けます。恐れ入りまする」

 そう言って、深々と頭を下げる老女の姿を、妃殿下は、ご覧になられて、微笑みながら、


「これからは、注意して下さい。私も、『癖』を出さないように気を付けますから。姫宮は、着いたのね」

 そう、気さくにおっしゃると、老女、唐糸を従えられまして、姫宮様を出迎える為、お部屋を出られました。

 まだ、妃殿下のお若い時分から、側で支えた老女にも、間違いは、間違いと訂正される方です。ましてや、勤め初めの、御所の文化等と無縁の省庁から派遣された、宮務官などは、皇嗣両殿下に「間違い」を、指摘されても、何の事やらという、状態となり、相当戸惑い、結局は、長くは、続かないというのが、「ご難場」というのが、皇嗣家の実情なのです。
 なかなか長くは、続かないのは、致し方ない事だと両殿下も思われているのですが、派遣された宮務官達も、数年の内だけという頭もありますから、折り合いが、付かないのも理由の一つでもあるのです。
 皇室という所は、様々な、仕来たり、文化、独自な慣習などがありますから、これを覚えるのは、一苦労なのです。皇室という、雲の上の世界に、現在の社会の学歴や、キャリア等は、余り役には立ちません。宮仕えする本人のやる気と、長い間の積み重ねと、忍耐と後は主との信頼関係を、どう築けるか、そして、何よりも大事なのは、・・・・「親兄弟と云えども、皇室内部の事は、絶対に、洩らさない」という本人の心構えと覚悟が大切なのです。
 「親兄弟と云えども・・・・」は、京都時代より御所に仕える人間がまず最初に、教えられる事と言う事ですから、人や、時代は変わっても、決して変わらない御所の鉄の掟なのです。まず何より、その掟が守れない人間は、宮仕えは、長くは続きません。
 姫宮様は、お腹か目立つ姿で、皇嗣家に帰られるのは、初めての事でした。前回のお里帰りは、新年祝賀の儀に、内々で、御所に夫のK氏と共に参内する為に、上京した時以来ですから、数ヶ月ぶりでしょうか。 
 赤坂御用地の木々も、姫宮様の住んでいらっしゃる所と同様にしかし、青々とした緑の色がまた一段と色濃く御用地内を取り囲んでいるのでした。


 姫宮様は、それを、ご覧になられて、穏やかな気分となんともなしに、懐かしさを思い浮かべられました。


 前回は、正月の新年祝賀の儀の時でした。姫宮様は、皇族では、ありませんが、ご親族という事で、夫婦で、御所に参内し、両陛下に新年の御祝いの御挨拶申し上げ、そして、同様に皇族方にも、ご挨拶された。それから、仙頭御所で、院と上皇后様に新年の御祝いのご挨拶をされました。


 両陛下には、御正装姿にて、めでたく御健やかに新年を迎えられて、大変目出度い事だと、思いましたが、姫宮様には、K氏の元へ降嫁されてからの、初めての新年祝賀の儀でした。
 丁度、懐妊されての初期の時でしたので、姫宮様の体調を、両陛下御始め多くの方々が気遣ってくださったのを、姫宮様は、大変有りがたく勿体なく思われたのでした。



令和の帝のとってもリアルな御顔のお雛様(久月製作)



「玉敷の みやこもひな鄙も へた(隔)てなく 年を迎ふる 御代のゆたけさ」

 明治8年御会始(歌会始)の時に静寛院宮(徳川家茂の寡婦・和宮)が詠まれた歌。
 皇族の身分を降りられた姫宮様でしたが、静寛院宮が詠まれた歌と同じ気持ちで、新たな年を迎えられた令和の御代の、皇室並びに国の平安を素直な気持ちで、願われたのでした。

(シロガネ注・皇后様の久月製作のお雛様もありましたが、シロガネ好みでない御顔でしたので、こちらの画像を載せます。こちらの方がマシと思いまして)


全然似ておられない皇后様雛。天皇陛下は、生き写しですのに何故?上の画像(横山大観作の絵画)と比べて、どちららがマシと思います?

 祝賀の儀で参内される際の姫宮様の装いは、例え降嫁されても、勲一等をお持ちでしたので、例年の如く、ローブ・デコルテをお召しになり、勲章とサッシュと呼ばれる帯を肩よりかけられ、そしてお髪(おぐし)にティアラを付けられるのです。ただそのティアラは、姫宮様が成年を迎えるに当たって、内親王として、国費で制作されたものでした。
 しかし、姫宮様は、K氏と結婚される際、内親王の称号は放棄されましたので、姫宮様が成年を迎えられた以降、幾度も身に付けていらっしゃた、思い出深く、ご自身の一部の様な、ティアラ等宝飾品一式は、K氏の元に降嫁の後に、全て国に返還されました。


 そして、新たに、姫宮様の私物の品として、ティアラ等の一式を私費にて、購入されたのでした。K氏の妻として、身に付けられる宝飾品は、今までよりも略式サイズのもので、ティアラは、「ヘアバンド」のサイズのもので、ネックレスもダイヤから、真珠のタイプになりました




(一例・こんなタイプの感じです)
 バンドー型ティアラとも呼ばれる、姫宮様のご自分の品となったのは、1910年代末から、1920年代初期の品で、イギリスのさる老舗アンティーク店で、日本製のティアラであると、売りに出されていたものを、たまたま、皇嗣殿下が、ネットで見つけられました。その後、妃殿下と相談されまして、良く調べたられた後に、間違いない品である事を、良く確認されたうえ、姫宮様の結婚への贈り物とされたのでした。




(1920年代のリアルタイプのティファニー製のバンドー型のティアラ)
 この様なティアラは、ヨーロッパでは、現在、結構売りに出されて居るのでしたが、皇嗣殿下が、これと、決められたのは、日本製であるという事でした。戦前唯一国内で、ティアラを制作していたのは、養殖真珠を成功したことで世界的に名高く、そして、現在でも皇室のティアラを制作している事でも有名な、「あの」宝飾店だけでした。




参考迄に
 皇嗣妃殿下は、二人の結婚には、本当に反対されていましたが、しかし、姫宮様がこれから、元内親王として、現実に身に付けられる、重要なティアラの事でしたので、疎かには出来ないと思われ、妃殿下自ら、そのアンティーク店と連絡をされまして、詳しく調べた所、戦後に、さる宮家から、売りに出されたものであるという事が分かりました。そして、妃殿下は、その「バンドー型ティアラ」の画像を、「あの」宝飾店に見せられて、店側と確認し、そして、調べてもらいました。


 そうしましたら、同時代に同じタイプの、バンドー型のティアラを宮家へ納品された記録があるという事が分かったのでした。


 しかし、どの宮家に納品されたのかは、残念ながら、企業秘密という事で分かりませんでしたが、こういう経緯が、ありましたので、両殿下共に何とも不思議な「縁」を感じられまして、そのティアラを、購入する事に決められたのでした。


 姫宮様も、ご両親から、ティアラを贈られた時、このティアラのたどって来た経緯を聞かされました。そして、最初に所有された方は、皇族でなくなる為にこのティアラを売りに出されて、そして今回は、皇族でなくなる自分が、このティアラを身に付ける為に、ご両親が、購入されたという・・・・・今、自分の手元にある、ティアラの経った運命の不思議な結び付きを、感じられずには、要られませんでした。


 皇嗣妃殿下が、アンティーク店を通して、このバンドー型のティアラを、所有していた人の事を聞いた所、戦後、このティアラを購入したのは、当時日本に駐留していた、さるイギリスの軍人の妻でした。
 人を介してティアラを購入した後、亡くなるまで、大切にされていたという事です。その後は、娘へと受け継がれ、その亡き後は、息子の妻へと、受け継がれたという事でしたが、その妻が、亡くなった後、夫である、息子が、そのアンティーク店へと、売りに出されたという事でした。何故なら、
 
「自分にも息子がいるが、直ぐに妻と離婚したりと家庭生活が落ち着かない。祖母から受け継がれた、このティアラを渡しても、後々どうなるか、分からないので、今の内に自分の意思で、売りに出す事に決めた」

・・・・・・と、いう理由を、店側に話していたという事です。皇族という事は、伏せて、日本人の両親が、娘の結婚祝いとして、贈る為にティアラを、購入したという事を店側から、聞いた時、元の所有者の息子は、大変喜んでいたという事です。 
 現在、そのティアラは、東京の貸金庫へと、勲章等共に預けてあります。内親王殿下でいらっしゃれば、宮内庁の金庫へと預けられるのですが、今はお立場が違いますので。



 深い緑のなかにある皇嗣邸に姫宮様が、涼風(源氏名)の侍女と共に邸内にはいりました。様々な思いを、K氏との暮らしのなかで、された姫宮様は、ご実家にこうして戻られて、正直ホッとされたのでした。



 姫宮様のお供をしてきた涼風の侍女は、姫宮様と妹宮殿下の侍女としてもう10年以上前からお仕えしている、心利いたる侍女で、この度、姫宮様が、皇嗣邸に里帰りされる際、妃殿下が、姫宮はもう、お腹が大分、大きくなって、一人では、大変だろうし、途中で何かあってはと、心配されて、わざわざ姫宮様の住んでいる所まで行かせて、ここまで付き添わせたのです。


 最も最大の理由は、「お母様」がここまで来させない為ですが。あの「お母様」が、こちらに来ると、嫌でも周囲に波風がたちます。それは、出来るだけ防がなければなりません。


 世間では、本当に色々と心無い事を言われていらっしゃる、妃殿下なのですが、しかし、あの「お母様」には、K氏以上の警戒心と嫌悪感を、抱いているのです。その事で、又喧しく言われているのですが、そんな事で、世間体を重んじて、あのK氏親子に良い顔をしようだなんて少しも思ってなどおられません。
 穏やかで、フワリとした、たおやかなお美しい方なのですが、しかし、その胸の奥には、強靭のお心を、秘めていらっしゃいます。



 姫宮様が、K氏との子供を産み、そしてその子供は、例えこれから先、K氏親子と、どんな事態となっても、K氏親子とは、決して縁の途切れる事はない、「絆という名の存在」が、生まれるのです。



 あの「お母様」は、妃殿下とは、違う意味で、強さと、したたかさを持っていますので、今後、自分達親子の将来の為に、間違いなく元内親王である姫宮様と自身の最愛の「王子」との間に生まれた・・・・「お母様」にとっては、可愛い孫でも、自身が思い描く未来の為であれば、利用する事に躊躇する事はないと、妃殿下は、そう見えておりました。
 妃殿下は、皇后陛下、上皇后様等、一筋縄では、ゆかない方々を間近で見ておられ、そして、時には、対峙され、又世の中に不満を持つ、一部の人達から、尋常でなく、そして恐ろしい程嫌い抜かれている、皇嗣妃殿下でいらっしゃいますが、それによって、逆にすっかり、鍛えられてしまいました。


上皇后様デスヨ




 K氏の「お母様」も相当な人なのですが、波乱の半生を生き抜いてこられた、妃殿下には、そう大した女性では、ないのかも知れません。でもやはり、なかなか厄介な「お母様」であるのは、間違いありません。妃殿下は、間違いなく「女難の相」をお持ちでいらっしゃいます。誠にお痛わしい事で、いらっしゃいます・・・・・・。



 しかし、姫宮様やこれから、産まれてくる孫を、自分達の欲の為に利用するのは、妃殿下でも耐えられない事なのです。



 妃殿下にとり、初めての孫が誕生、しかも自分の手元で・・・・・本来ならとても喜ばしく、しかし、出産への純粋な心配という気持ちのみでいられるのですが・・・・・しかし、K氏親子の存在で、決して素直な気持ちのみで、いられない皇嗣妃殿下なのです。


「君様(妃殿下の事・御所言葉)、ご機嫌よう。わざわざのお出迎え、恐れ入ります。只今帰って参りました」

 母君の妃殿下は、老女の唐糸から、姫宮様が到着されたと知らされて奥向きの玄関まで、姫宮様を出迎えられました。



「ご機嫌よう。お帰り遊ばせ。気丈(元気・御所言葉)に、するする(無事・御所言葉)と、到着されて、良かったですね。遠くから出られて、さぞ疲れたのでは、ありませんか?まぁ!姫宮は、すっかり、妊婦さんにおなりね。涼風さんも、日帰りで、本当にご苦労様でした」

 姫宮様と久しぶりの姿を見まして、妃殿下は、色々と思う所は、あっても、やはり嬉しく、又思った程に、元気そうな姫宮様の様子に、お顔をほころばせて、いらっしゃいました。


「まあ、宮様。お・・・いえ(笑い)するすると到着遊ばされて、本当に宜しゅうございました。恐れながら、宮様には、わたくし共に、余計なお気遣いを遊ばされて・・・・・・その様なお気遣いなさらずとも、今まで通りので、宜しゅう御座いましたのに・・・・・誠に恐れ入ります」

 老女、唐糸(源氏名)は、姫宮様から、先に職員一堂にお土産を贈られた事に、礼を言うのですが、贈られた時から、「宮様は、余計なお気遣いをなさって・・・・」と、何度も言うのです。K氏の名前で、贈られたのですが、そんな事は有る訳がないと、職員達、事に、奥向きの皇嗣家が私的に雇っている職員達は皆そう、思っているのです。


「唐糸さん、ご機嫌よう、久しぶりですね。K氏が、色々と世話になるのだから、どうしてもと・・・・。でもK氏の言う通りこれから本当に職員さん方には、迷惑を掛けてしまいますから、当然ですね。K氏と一緒にあれこれと相談して、何とか決めましたが、あれで良かったのだろうかと、K氏が特に心配していましたが、とにかく皆さんに、宜しくと言われてきました」

 その様に、唐糸に伝えて、あくまでもK氏からという事になさる姫宮様なのでした。老女の唐糸は、「まあ、その様な・・・・」と言って感謝の言葉を言うのですが、K氏の名前は、決して出そうとはしないのでした。しかしながら、唐糸は、姫宮様のご様子がK氏と一緒になる前の唐糸が、良く知る姫宮様に、戻られたと、思いました。

 そしてその理由は、K氏との関係が上手くはいっていないのだと、唐糸は年の功で、そう、確信しました。しかし、それは、唐糸達には、喜ばしく、しかし姫宮様にとっては、不幸な事で、あるのですから、矢張複雑な気持ちになるのでした。


「あちらの生活のご様子は、いかがですか。雪は、もう皆溶けてしまいましたか?温泉が出る場所でございますし、宮様は、まあ~本当に良い所にお住まいで・・・・」

 自分が知る以前の、姫宮様に戻られたのは、矢張とても嬉しくて、唐糸は、姫宮様にあちらの暮らしぶり等を、色々と尋ね、話込んでいると、その様子をずっとご覧に成られていた、皇嗣妃殿下は、(もう、この辺りで止めないと・・・・)と思われまして、ニコニコされながら・・・・・


「宮、ここで唐糸さんと、ずっと長話をしては、この場所で、お産をする事になりますよ(笑い)。若宮も、待っているのですから、さぁ、応接間のほうへ行きましょうね」

 と、姫宮様におっしゃいますと、先導されるかの様に奥の間へ、姫宮様を導かれたのでした。


・・・・・・その11へと、続きます。

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