こちらは、昭和10年7月18日に、撮影されたものですが、写られていらっしゃるのは、秩父宮両殿下と高松宮両殿下です。
見てもお分かりでしょうが、両殿下方ともお着物を御召しになられています。
そして秩父宮殿下、高松宮殿下方とも明らかに羽織袴を御召しになられていますが、この時撮影されたのは、秩父宮殿下の弘前赴任の送別会も、かねてのものなのですが、内々のものでなく半ば公的なものだと言えるものだと思います。
一緒に写っているのは、前から(正座している)左順に原田熊雄男爵、酒井忠正伯爵、木戸孝一侯爵、細川護立侯爵、そして一番後ろで、一番長身なのは、近衛文麿公爵というそうそうたるメンバーです。
注目して欲しいのは、秩父宮殿下、高松宮殿下方意外の多くの男性の羽織りは五つ紋です。
紋は、数が多いほど正装となりますが、ブータンを訪問された若宮殿下は、五つ紋の黒羽織りを御召しなられていました。
若宮殿下は、ブータン国王に初めて、御会いになられるので五つ紋付きの羽織りを御召しなられていますが、羽織袴を着ている華族達は、宮殿下方との晩餐会の為、一番の正装である、五つ紋付きの羽織りを着ていますか、宮殿下方は恐らく三つ紋付きの羽織りを御召しなられていると思います。
この羽織袴は、三笠宮殿下が幼い頃御召しなられた三つ紋の羽織袴です。
この画像は、皇室日記より
実際に御召しになられた御写真です。
「三笠宮家のゆかりの染織美」の図録によれば、この御写真は、大正9年1月17日に撮影されたものですが、当然この羽織袴は、御所内で御召しになられたはずですし、大正天皇、貞明皇后御夫妻も御覧になられたはずです。
お正月のお祝いか何かの折りに御召しになられたかもしれません。
恐らくその時に、三笠宮様が御召しになられる様に、貞明皇后が、御用意なされたのかもしれません。
大正天皇は袴姿がお気に入りだったとの事ですし。
少し大きくなられた後の御写真です。
三笠宮様が幼い頃、貞明皇后は、沢山の着物を贈られたましたが、そのほとんどは、御所風の御縫小袖といった、雅な伝統の「小袖」ばかりでしたが、いわいる武士風の羽織袴も、贈られていたことが、「三笠宮家のゆかりの染織美」を見まして、良くわかりました。
ちなみに貞明皇后は、九条家(公家)の御出身です。
最後に▪▪▪▪▪
明治以来、公の場所では皇族は洋装だった、だから若宮殿下が羽織袴姿で、公の場所で出られるのは、可笑しいと言って非難する人達がいますが、若宮殿下は、令和の御代に御召しになられたのです!!
こちらは、誰が見ても戦前です。
必ずしもそうとばかりは、言えないとは思いますが。