1993年8月に
私は 母になりました..
結婚後 13年目
待望の男の子が誕生した時の感動
忘れません
新生児室で夜泣きをする赤ちゃんの声がすると
息子が さみしがって泣いている..
と感じて 居ても立っても居られず
無断で わが子を自分のベッドに連れてきて
そのまま添い寝をしていました
その愛おしさこそ
母親の本能=母性というものなのでしょう
「分身」という言葉がふさわしく
私に与えられている生涯の[ラッキー=運]を
全部あなたにあげる
あなたは 幸運に恵まれて生れて来た
あなたの将来のために
全力でサポートするからね
他にもいろいろ
言葉では言い尽くせない
子育てをしながら
[母親] になる ということを覚悟し
自分が得られなかった母からの愛情を
折に触れて 痛感して来た..
私の母も けっして愛情がなかったわけではない..
ただ
一人の人として
時代と家庭事情に翻弄され過ぎて
早くに 初孫が誕生したことから..
情の深い彼女は
目の前の新たな命に取りつかれ
未だ思春期途上の末娘(私)の存在を見失った..
否..疎ましく感じていた
私は 悟ったのです
やはり人にとって大切なのは
いかに[自分育て]をする期間が重要で
また
[愛情の取り違え]を引き起こさせない努力が必要か..
私の母には
そんな概念を整理する余裕がなかったのです
[子を持つのは簡単] しかし [親になるのはむずかしい]
[親になる] という意味を理解して覚悟をしなければ
親だって
一個の人間として
社会で関わる諸事情に疲弊して
身近な弱いものを邪険にしてしまう..
一瞬でも
わが子の前では [親の覚悟] が揺らぐ言動を見せてはいけない..
言い換えれば
母親を そんな風に追い詰めてはいけない..
きょうは 私の誕生日
私は
自分が子育てをしながら抱く[母親]としての感情を
つねに
自分の母親が私を育てるときの感情と比較して来た
そして
なぜ? 母は(父は) あのとき
私の気持ちを理解してくれもせず
自分たちの思惑の中で
私の人間性を歪めて
私じゃない私に対して
いったい? 何をさせたかったのだろう
それはいまだに悲しく 深く 私の心の奥底にある..
母親になってやがて30年
いまだに インナーチャイルドを抱えたままの私