北海道旭川市は多くの文化人、芸術家を誕生させた文化芸術都市です。
そんな旭川市で生まれ育った素晴らしい才能の持ち主達を紹介しています。
谷口雅彦さんは北海道旭川市出身の写真家です。
谷口さんにとって初めての写真撮影は三歳。母親を撮った写真でした。その写真には、三歳のわが子に向ける母親の笑顔がストレートに写っていました。
その後、写真を撮ることに興味を持った谷口さんは九歳の時に自身でカメラを購入し、本格的に写真を撮り始めます。以来現在まで約四十年、写真を撮り続けています。
旭川実業高校時代は写真部に所属。卒業後、旭川を離れ進学のため単身上京します。
その後、写真を撮ることに興味を持った谷口さんは九歳の時に自身でカメラを購入し、本格的に写真を撮り始めます。以来現在まで約四十年、写真を撮り続けています。
旭川実業高校時代は写真部に所属。卒業後、旭川を離れ進学のため単身上京します。
国士舘短期大学国文科卒業、日本ジャーナリスト専門学校研究科(現メディア研修科)に進学、同校在学中に毎日新聞ニュース写真年度賞特選を受賞します。
卒業後、東京都内の営業写真館に就職し、三年間、サラリーマンを経験し、実践として写真技能を身につけます。同時に日本写真史において写真のヌーベルバーグと言われた写真家集団VIVOの六人のうち、丹野章、細江英公の二人の写真家に師事し、それぞれの先生から写真家と写真作家としての薫陶を受けます。
1992年、世界的な舞踏家の大野一雄との出会いを機に、舞踏家、ストリップダンサーなどの身体表現者たちをモチーフに撮影。その作品を写真展、写真集、カメラ誌等で発表し、写真界で一定の評価を受けます。
1992年からフリーランスとして写真家活動を開始します。
引き続き、展覧会を中心に作品を発表する傍ら、男性向け週刊誌等のグラビアや書籍、ムック本などの出版に関わります。
1995年には雑誌『自由時間』(マガジンハウス)の特集で「写真家荒木経惟が選ぶ20代の写真家15人」に作品が掲載され、荒木氏に「個性がある」と言わしめます。この頃、舞踏家とともにリズムに合わせて自らの身体を動かしながら撮影をする様子から、若手写真家を取り上げるいくつかのメディアから「踊る写真家」と呼ばれました。
1992年からフリーランスとして写真家活動を開始します。
引き続き、展覧会を中心に作品を発表する傍ら、男性向け週刊誌等のグラビアや書籍、ムック本などの出版に関わります。
1995年には雑誌『自由時間』(マガジンハウス)の特集で「写真家荒木経惟が選ぶ20代の写真家15人」に作品が掲載され、荒木氏に「個性がある」と言わしめます。この頃、舞踏家とともにリズムに合わせて自らの身体を動かしながら撮影をする様子から、若手写真家を取り上げるいくつかのメディアから「踊る写真家」と呼ばれました。
またこの頃、同時代の写真家とのコラボやユニットを作り展覧会を繰り返すことで見えてくる他者との相違により、自己の作品を追及していきました。
1997年から2001年にかけて、故郷旭川とその周辺の市町村で写真展や写真ワークショップなどを企画開催し、地元の写真愛好家たちとの交流を深めます。
2002年には、世界的著名な写真家森山大道や荒木経惟など、日本の現代写真作家を取り上げるワイズ出版写真叢書のシリーズの一冊として写真集『日々の旅 1993-2002』を出版します。
2002年には、世界的著名な写真家森山大道や荒木経惟など、日本の現代写真作家を取り上げるワイズ出版写真叢書のシリーズの一冊として写真集『日々の旅 1993-2002』を出版します。
以降、2008年からは、いわゆるファインアートの世界を離れて、作品を表現として目的にするのではなく、手段の一つとして捉えなおすことを試み始め、その結果現在まで、谷口さんの活動範囲は多岐に渡ることになります。
2011年、東日本大震災後は、「3.11を忘れない写真家の会」をいち早く結成し、その代表を務め、震災前の失われた町の写真だけを集めた写真展を企画、現在も全国巡回を続けています。
2012年には、賛成と反対と渦巻く日本のこれからを考えるきっかけになる本を目指そうと、全国の原子力発電所がある町を取材したロード写真集『沈黙と饒舌と ―原発のある町―』(白夜書房)を、編集者でエッセイストの末井昭と上梓します。
2003年からは、性に関わる人々や風俗に身を沈める女性たちを根強く追い続けているライター中山美里とのコンビで、2006年に『性職者の人々』(宙出版)、2012年に『漂流遊女』(ミリオン出版)、2014年から『老遊女』(メルマガにて連載中)を発表したり、雑誌連載をきっかけに、元刑事で犯罪プロファイラ―の北芝健と全国の未解決事件の現場を追った『未解決事件現場を歩く』(双葉社)など、いわゆるドキュメンタリー写真も積極的に発表しています。
またサイエンスライター川口友万と、キルリアン写真と呼ばれるサイエンス写真(コロナ放電による発光写真)にも挑戦、撮影実験を繰り返し、二年がかりでついに世界初の立体撮影に成功し、写真集『オーラ!? キルリアン写真の世界』(双葉社)を発表するに至ります。
またサイエンスライター川口友万と、キルリアン写真と呼ばれるサイエンス写真(コロナ放電による発光写真)にも挑戦、撮影実験を繰り返し、二年がかりでついに世界初の立体撮影に成功し、写真集『オーラ!? キルリアン写真の世界』(双葉社)を発表するに至ります。
最近では、写真家としての社会との関わり合いを意識的に強め、自身の作品制作の場(アトリエ)を開放し、[四畳半アートフェスティバル](2010年~2015年)を12回開催したり、アトリエがあった神奈川県川崎市登戸をモチーフにフィールドワークし、失われゆく町の風景や忘れ去らされた非機能的空間を提示し、地域社会に有るものとして意識化させる行為ことこそが写真家の存在意義という仮説の試みとして、写真家によるドラマ出演と制作と、地域での上映会で発表、写真展に至るまでのプロセスを作品として提示する試み[登戸宿河原完全写真化計画]をプロデュースします。
他には、小説家やアスリートの肖像写真を多数、女性誌やWEBでの広告写真も手がけたり、俳優高倉健死去の際は、中国四川省の新聞社[成都商報]の特約写真記者として、いち早く追悼記事を配信。中国国際テレビ、北京放送でも取り上げたりもしました。
またTVCM出演やトークイベントやラジオ、ネットテレビのレギュラー出演など、コメンティターとしても活躍しています。
2014年には、ホラー作家平山夢明監修のアンソロジーに、短編の実話怪談を三編寄稿し、実話怪談作家としてデビューし、2015年には、調布映画祭のコンペディション本審査員を務めたりと、マルチな活動を展開しています。