意識は、少し変わる感覚もある。
整備したいのはやまやまだが、整備費が捻出できない。
それを得る為に「働いて」いる筈だが、”それ”が思ったように生成出来てない。
それは果たして、仕事が足らないのか、それとも内容が悪いのか、それはまだ解らない。一応解ってきた事は、現場?では30点以下の自称「先生」が、かなり幅を利かせていると言う事だ。
それによる創作は、利益を産まない。
「教えてあげましょう」
という態度は、基本的にはサブカルチャーではほぼ致命傷ではある。
しかし?立場とか意識、そう言うのはどうしても、そこにそう言うのを載せてしまう。
”それ”によって成果が出なかったとしたら、それは誰の責任か?
客が愚かだから。
この領域は今も、”ここ”に重い比重を載せてしまってはいる。
状況として、言える様になってきた事はある。
アートスケールで60点以下の作品しか創れない人を、先生とは呼べない。
まして30点以下の作品なんて不良品レベルだ、商品価値は無い。
そう言うのしか創れない人の意向を、重視する必要は無い。
その中に今、主観として「飯塚幸三」氏、みたいな人がいる、訳だが。
学歴社会の中で権威は有っても、作品その物は30点以下でしかない、そう言う。
彼らの声を重視せざるを得ない結果、つまり「30点以下」の作品や傾向を重視してしまう事に成る、訳だ。昭和期の様な「売れる作品」が出なくなった、本当の理由はそこかもしれない。彼らの作品は利益に成らないが、しかしヒットラーもまた、こういう作品を描いていて。”それ”にお金を出さなかった結果と言うそれが、彼らに妙な利益性?を与えた様な絵に成っていて、それによる感覚の増大や歪み、そう言うのが平成で重く妖怪化した、そうは言えそうな訳だが。
一応、主張として、低いスコアそれは、「勉強が足らないから」だ。
ただ?現場?が今、そう思うかどうか、それは解らない。
ただともかく飯塚幸三氏、それは人を二人も轢き殺してしまった。
それは、許されない。
「責任を取って貰う」結果として、”彼ら”の声は弱まるのだろうか?
その結果として、昭和期に前に出た様な作品、それらが利益を上げて、環境の整備費、そこへ向けられる様に成るのだろうか?
ともかく。
「貴方の作品は25点です」
この程度の作品しか創れない貴方の意見を、重視する理由は有りません。
相手が、紫綬褒章を得た様な人々であっても、それは言えるのか、否か。
そして、その結果とは。
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