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あげちうのブロマガ

分岐と言う普遍性のある脅威

「美鶴さんの長い妄想」は、売れなかった、のだけど。

”それ”が悪いゲームだ、と言う訳ではもちろんないのだ。

状況的に、現在か「PCゲームを出荷したい場合、ゲームセンター用ゲームの出荷実績が必要になります」100枚出荷で1本許容されます、と言うルールが、不意に意味を持ちつつある、訳だが。

”これ”は何故か?と言うと、ゲームセンターを維持する為、だ。ゲームとはここから始まっている、”ここ”を失う、と言う事はゲームの必要性さえも失う、というに等しい、故郷それは大事にせねばならない、そう言う倫理の帰結として、意味を持つ訳だが。


…不意にそれは、「売れなかった」と言う結果あっての抑止ではあるのだが。

そうじゃ無かった場合の”それ”は、そこに疑問を投げてしまうそれは、現実。

何がダメなのか?


状況はどんどん変化しつつはある、訳だ。

「ゲーム基板とは如何に有るべきか?」と言う視点としてもだ。

状況として今?か、「本体基板5万円、ゲームROM5000円、その他IFや筐体は別途」と言う構成が出来る、のだけど。

それもう、只のコンシューマゲーム機なのでは?

ゲームセンターにしろ、その「100本でPCゲーム1本許容」にしても、基板派のそれにしても、実際には有り難い話ではある、が。

安直にアーケードゲームが家庭で遊べてしまう、それは、アーケードゲーム1回に100円を投入する、と言うその意味に対して、反論し難い疑問を投げては来る。

実際には、「挑戦には然るべきコストが必要」で、”そこ”で突破してこそ、その課程は強い意味を持つ、のだけど。

現状の「自分の」想定、だ。

ともかくコンテニューを繰り返せばクリアは出来る、クリアさえすれば意味はある。2000円位投入すれば何とかなる、諦めなければ、達成は可能。

という程度を、アーケードゲームに要求はしている…訳だが。

だったら最初から2000円払ってしまえば。

そこに有る選択を、無意味と言うか、或いは、ではある。

ある意味で、「ヴリトラ・ヘキサ」がもう一声だった、その理由みたいな物だろうか。


「美鶴さんの長い妄想」を、世間が?否定的だった事の反動、かもしれない。

”それ”を肯定する先に、でも、ゲームセンターと言う場の否定、それに至る訳だ。

自分自身もまあ、そこは失念だった様なモノでは、ある。

当時か、まことしやかに語られた「ゲームセンターとしては3分で100円入れて欲しい」とも相まって、状況はゲームセンターへの否定、それに傾いてしまった、それはある、今も「創始である」と言う特権を足場に、何かの強権を発動はしている、訳で。

日本市場に、「ゲームセンター」それを復活させよう、そこはルートは見えても。

実際に”そこ”に置くゲーム、それへの肯定、それは少し違う何かとして、壁か。


今の状況は、多く「そこは客の選択だ」という声を残しては居る、が。

或いは「資本論」その座の声として残る物、だろうか。「客にとって有益さの高い方を」と言う、その判断の時、片方は捨てられる、と言う選択は…そこで発生してしまう。

今は、どうだろう。

状況は、少しは変化した、だろうか。


「どっちも有って良いし、どっちも意味はある」という、その選択は今まで、かなり無理があったが、今は、だ。

勝者が、世界を創っていくのだけど。

 


使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im6818527
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im5739993
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