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あげちうのブロマガ

世界を救う幻想とその後

不意に、理解出来る感覚はある。

世界の理を破壊してしまって、”それ”で良かったのか?

ともかく「ゲーム実況、ヴリトラ・ヘキサ編」での、ちょっと構築した?ストーリーは相応の「価値」はある、だろうと言うか、なんかデカいおにぎりを前にSD紲星あかりが恍惚にしがみ付いてるイメージを想像する、感じにはなったが、同時に不意に、そこに不満?の様な、そう言うのも或いは、連想はする。

神を殺して良かったのだろうか?
それは、必要な事だったか。
ヴリトラが次の王になるなら、それで良いのではあるまいか。

倫理的な観点で言えば、その時は結局、”誰か”が敗者として奈落に落され数千年かの幽閉を余儀なくされる、訳だが。それが度々のカタストロフを齎してきた、そして、そこには重い憤怒と悲痛が残っている、結局「誰かを生贄にしてみんなで幸せになろう」ってそれは良くない、その倫理で有る結末、なのだが。

ふと現実に目を向ける時、人力発電機、その施設、ともかく「最下層がお金を稼げる場所」それが無い?感じに…少し窮乏感は、思う。

ここで、”神”は必要で、神には声を荒げて欲しい訳で。
そして、”それ”が通るパワーが必要になる、訳で。

「なんで人力発電機を創って普及させないんだ」

さっさとやれ!!

の、その一喝で、”それ”は現実へ普及していく…のは良いが。現実的にはその時、そこにブリトラは発生する、のだ。

この結果、その神とヴリトラの間で戦争は起き、全ては元の木阿弥に陥る…それが世の定理ではある。

「資本論」は、或いはその現実に対抗して、犠牲を許容する事で、それの実現を目指した訳だが結論で言えば?自分の娘さえ生贄にする末路で…それは大きな悲痛を残した訳だが。

解っては居る、事だ。
だからこそ、「大賀さん」紛争解決機構その決定、それによる変化、”それ”に依存せねばならない、が。

じわりじわりと変化していく、もちろん事の大きさを想えば当然ではある、しかし。今、目の前に有る問題、自身の境遇?そう言うのは、それを超えたパワー、それをどうしても求めたりはする訳だが。

ともかく、ゲーム業界にとっては、一つの大きな「財源」には成り得る、とは思う。結構長い追及、否定への返答、それとして重い。ゲームとしては、”ここ”を足場に出来るのではないか?何をするべきか、何を目指すべきか、その為に必要な技術、コストはどの位か。そして、そこを超える先に、何かの報酬、対価、それはそこに有る。

筈ではある。

ともかくアンチテーゼも含んで、ネタ元として意味は有りそう。ゲームを遊ぶ、その意欲もそこにある。そこには”せねばならない事”が有るのだ、或いは「対価」の期待し得る、そう言う。

「面白い」と言うそれは、大事な話である。


使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10859968
https://publicdomainq.net/residential-area-houses-0060054/

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