あげちうのブロマガ

勝利と理想とその代償

理想の衝突は有って。

「商店街が総じて流行ってる」状態を創りたい時、方法論が一つ。「100点以下は悪いけど、100点以上は意味が無い」趣味の問題、と言う状態を創る。基底ラインがあって、店がそれを満たしてさえ居ればそれでOK、最低限の利益性は確保できる状態。”それ以上”を目指すと、急激に「悪い」評価が付き始める…一人で総取りは良くない。その時?”それ”を避けるには、相応の強度は必要だ。それは挑戦ではある、けど。

恐らくそうなると?費用対効果が悪くなっていく、訳だ。つまり?それは「クオリティでは利益性が出ない」状態に陥る。良くも悪くも他の追随を許さない精密な量産品より、多少人情味の有る下町感の方がウケる、とかそう言う。団栗の背比べなら?逆にその時の気分で、隣の店も選べるのである。現状、”これ”が世界を支配する「正義」それには成っていて。それに合致しないなら、如何にその理念の作者であっても苦境に甘んじねばならない…それは良くも悪くも現実の壁として有る。最強!それは意外と不遇である。

が、”この”状態を、しかし、「浮気を容認するんですか?」そう、見る事は出来る訳だ。不遇さに批判的なパワーは、”それ”を支持したり、する。

一夫一婦が異様に強調される時?”この”異常が始まる。だからこそ、PUBGで言えば、「ドン勝出来れば良いじゃないか」そこを基底ラインにしたい、訳だが。一度でもドン勝出来れば及第点、プロ認定、それ以上は遊びである…そう言う。この時?その「ドン勝出来る物語」それに貢献し得た作品それは、全く萌えキャラの如く「一応は個性があっても、みんな似た様な萌えキャラ」そう言う状況には成るのだが。

それ以上を求めるべきなのだろうか。

歪んだ一夫一婦論では、目指さねばならない…一番以外は要らないから、だ。恐慌状態はある、夫の前に他の女の影、自分よりスペックの高い相手に対して?その理想は当然、好ましくない状態を示し始める…それは自身の破滅さえそこに有る訳だ。インターネットは或いは、そんな倫理観の産物ではあり、だからこそITはバブルでしかなく、そして今も、経済的な貢献は出来ない状況が続いてる訳だが。

「九尾の狐」その剣呑さはまだ、消えない。


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