改めて想像すると、やっぱりキツイ話である。
「単なる嫌がらせ」と言うそれで、その人は人生が狂ってしまった。
ちょっとした「或いは?」の想定。
ある少年は、とある有名ゲーム会社に入りたかった。その為に高校の時からプログラムなどには精通し、相応の能力は有ったが。
しかし、それが仇でか、業界の問題児に目を付けられるかで…その圧力により、大学入試で不正に不合格にされてしまい、その後も何やかや上手く行かず、そのまま高卒で職を探す事に。
彼は何度か夢再びを願うが、「高卒」を理由に、不採用にされ続けて。
しかし、流石に能力比と結果に差がある現状を訝しんだ内部その他の人々の調査等により、やがて「入試時に不正があった」事が発覚。しかし、既に入試の失敗から10年は過ぎていた。
ぶっちゃけ、「何処に原因が?」と言うのは言いにくい話だ。高卒だから、で採用しないと言うのもアレかもしれない、しかし。人には色々事情もある、そんなに幾つも大学を受けられる財力、と言うのも面倒な話としてあって。そう言う環境からの脱却を目指した、それは権力の理不尽な否定で、遮断されてしまった訳だ。
もちろん?この話には付随して、「その問題児には業界では、ほぼ何の成果も出せなかった」と言う話はある訳だが。お偉いさんの息子と言う立場、業界としても無視し難い存在はでも、親に対して非才でも有名だった。この不正の後、この人物は更に”それ”を顕著にしていく。物語か外聞的には「才能だけで人を差別するべきでは無い」等などの正論で囲まれた彼は、損失を重ね続けて10年後、その事実が発覚する訳だが。
その時、少なからず「何とか成果を出せる様に」彼に協力した人々は納得した。
それは、無理だ。
生理的嫌悪を露わにしていた人々も、それで少し、溜飲は下がったと言う。
ただ、もちろんここで、「朝鮮王朝の末裔」それは、笑みを浮かべて言う訳だが。
ほらな、豚に産まれた奴は豚なんだよ。
相変わらず、日本を太平洋戦争へと向かわせた”それ”は、まだ、その存在感を見せている。
罰は、多くが「改善」を期待してのそれだ。厳罰を受け、こりごりするかで、次からはしなくなる、事を期待する訳だが。そのためには納得が必要で、そしてこの場合、加害者の「納得」それは、実際難しい。マクロで見れば平等ではある、加害者は最初からチャンスに近い、後は努力するだけだが、被害者は能力は有ってもチャンスに遠く、それは相応の努力かが必要ではあり。10年後にか、善と悪、そうなったのは、一応は当人の選択でしかない、とは言うが。
やっぱり、納得は無さそう。
この、感情論的な打開として、「人力発電機がある」と言う前提での罰則として、「加害者は発覚までの期間と同年を、人力発電機での収入のみで暮らさねば成らない」ってのを前に考えた、のだが。この場合、10年だ、その間、人力発電機以外の収入は全て没収され、被害者への賠償に当てられる。もちろん仕事をしなくても良い、単に被害者の感情論に配慮したそれは。
でも、発覚まで30年、という場合も同じか、ではある。上の例にしろ、被害者が入試の結果を納得していたら、その10年は苦痛に感じていなかった、かもしれない。それでも?しかし、マクロで見た時、なんだかあまりにもな惨事ではあって、それをただ注意で終わらせるのは、あまりにも道理に反する感じはする。
この例?を持って、「神は見てる」神に見えない物は無い、そう言うべきだろうか。
10年間、底辺かを過ごした被害者は、何かを得たのだろうか。