「個性の問題」と言って終わりにしていい話か否かは、少し悩ましい。
一夫多妻を否定する、「普通」の感覚はしかし、その先に不足は呼んでいく。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
「えー限定版のアーキ坊やのマグカップ終わっちゃったんですかぁ?」とか言う世界線の是非ではある。
現状、良くも悪くもまだ火は燃え尽きてない「アーマードコア6」ではある、が。次第にキャラクターが勝手に?造形されていく?のは、この作品のイメージ、それを大きく損なう要素だ、というのは。ファンの多くも解っている事だ、とは思うのだ、単に”それ”は遊んでいるだけである。こういう要素が欲しいなんて、別に言ってないでも良いよねこれ。
言ってんじゃねーか。
作者側には、ちょっとプレッシャーである。荒廃した世界、希望の無い永劫の虚無、その中で続く消耗戦、全てが「いらない」或いはそう言う要素で構成された、そんなゴミの中で蠢く人々の声。ある種「わかるわかる」的な、しかしその先にある現実ではある。この世界からそのゴミの中で蠢く人々の声がする、という事は。逆に彼らからの”打開”を期待されている、と言う事でもある。世界はある種の地獄なのだ、そこに居る人々は、この世界からの脱出を望んでいる。
”それ”は、描きたい物じゃない。
今、これを言って良いのか?ではあるが。アニメの絵柄が総じて萌え絵系に成ってしまった現状の様に、何かへの収斂、そう言うのは…ちょっと避けられない衝動ではある訳だが。
そして、ある種の面倒として成功例もある、「青の騎士ベルゼルガ物語」それは、最終的には「テスタロッサ」と言う、その世界でのロボット「アーマードトルーパー」らしからぬ機体を登場させ、その世界としては一つの地位を確立はした、訳だが。ただもちろん?このベクトルはこれ以外には存在しない。世界観自体としては、ほぼ異端である。
なんでこう、もっとヒロイックなロボットとか出さないんです?
そうすればもっとウケるのに。
「スコープドックではヒーローに成れないと言うんですか?」
”それ”しか手に出来ない僕らは、所詮消耗品の雑兵でしかないと?
この感覚は…あの「進撃の巨人」にも出てくるそれではある。結局、主人公側の一人は「巨人」に成ってしまった。ワールドの方向性から言えばそれはタブーであった筈だが…それ以外を選択できないか、ある種の現実としてそうなってしまった、時。世界自体のテーマは崩壊してしまった、人間気合と根性で「巨人」に成れる、小さいのは単に努力かそう言うのが足りないだけ。所詮その堀の中に居るのは、成長への努力か研究を忘れたか、捨てた、そんな不良品の集まる掃きだめでしかない。物語はその後、割とグダグダに成ってなんちゃら終わっていく訳だが。
もちろん、その中で巨人の脅威を退ける術を見出してしまったら?それはそれで英雄に成ってしまうのだが。
今の「アーマードコア6」は、良くも悪くも複数のシナリオが相反する結末ではあり、どっちみち夢オチでループに入るので、結局は「未来」方向性、それは決めずに終幕とはしている。後は世界観を大事にするなら対戦要素しかない、とは言える訳だが。盛り上がった?人々の衝動は果たして正義か、それともコーラルの暴走でしかないか、それはまだ不透明ではあろうか。
今の現実は、「そう言う世界」ではある。
納得できない、という納得し得る脅威は、果たして。